<トランキライザー>

 窓枠を蹴って、サイサリスは夜の空へと飛び出した。
 目指すは、愛しい人のいる白い建物。
 街の外れにある家から、中心区にあるそこまで。
「はっ――」
 軽く掛け声をかけて、着地する。
 少し走ってから、再び跳躍する。
「ほっ――」
 それを、繰り返す。
 その表情には、小さな笑みのようなものが浮かんでいた。
 彼が今居候している家は街の外れにあり、あたりに人の気配は無い。
 だから――サイサリスは気兼ねなく自分の『能力』を使った。
「てやっ――」
 人ではない、彼が使う常識をも覆す『能力』
 それによって彼は今、常識では考えられないほどの脚力を持っている。
 何処かへと向かう夜行列車が見えた。
 赤い非常等に包まれた電波塔が見えた。
 妹の墓から見えた光景とは、また、違って見えた。
「たっ」
 気付かれないように、足音を殺し。
 極力音を立てないように。
 跳ぶ。
「てぃや」
 何度も来た事のある白い手すりに着地し、サイサリスは笑顔を浮かべた。
 ここまできたなら、目指す人物はもう少しだった。
「……何をしている」
「っわ!?」
 後ろから声をかけられ、思わず大声をかける。
 恐る恐る振り返ると、そこには目的の人物が腕を組んで立っていた。
 ミスト=サテリア。
 この街の市長であり――若くして聖神教の教主を務める女性だ。
「ここまで跳んでくるなんてな……遠くからでもよく見えたぞ?」
「うげ、バレてるなんてね。バレないと思ったんだけどな」
「それで、何のようだ? ジーンが発作でも起こしたのか?」
 ミストは手すりに腰掛け、目を細めて笑う。
 その動作に一瞬目を奪われて、それでもサイサリスは本来の目的を忘れずにいた。
「ううん、違う」
「じゃあどうした?」
「俺が」
 一歩前に出て
「ヤバいくらいに」
 手すりに座るミストの体を抱きしめる。
「壊れかけた」
「……何があった」
「……死にたくなった。無性に。俺なんて存在を消してしまいって」
「それで?」
「そのまま行くと、台所が血の海になりそうだったんで――ミストに、会いに来た」
 腕に力を込める。
 ミストは小さく溜息をつき、見掛けだけは大きい『子供』の背中を叩いてやった。
「相変わらずガキだな」
「……心臓の音」
「あ?」
「ミストの心臓の音が聞こえるなー、って。ミスト、あったかい」
「……」
「……俺さ、きっとミストがいなくなったら狂っちゃうね」
「へぇ」
「狂って自分の腕切って、首切って、それでも死なないからナカミ全部出して」
「そりゃ見てみたいものだな」
「……ミスト、本気?」
「いや冗談。誰がそんなスプラッタ映像好んで見るか」
 怪訝そうに尋ねてくるサイサリスに、ミストは明るい口調で言った。
 からかわれたのだ、サイサリスは気付く。
「ミスト」
「悪かったな。人を勝手にトランキライザー代わりにしやがるから」
「トランキライザー?」
「精神安定剤」
 サイサリスは目を瞬かせる。
 その間にミストは彼の腕の中から逃げ出し、小さく笑った。
「ミスト」
「何だ」
「代わりじゃない。ホントに俺の精神安定剤だから」
 手すりに腰掛けて、金髪翠眼の青年は笑った。
「ばぁか」
 ぺしんとその額を叩き、ミストは踵を返す。
「帰るぞ」
「あい」
 二人は、並んで歩き出した。
 
 俺を、落ち着かせて、ここに留まらせる君。
 失えない。
 それがないと、生きていけないから。

           あとがき。
             それが無いと落ち着けないものって何かしらありますよね。
              それが無ければ、きっと、狂ってしまうような。
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