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「1.4142135623730950488016887242097」
 それを聞いたとたん、俺は物凄い頭痛に襲われた。
 何かの冗談だと思ってしまいたい。
「……ジーン」
「何、ミスト?」
「何だ……それは」
「ルート」
「ルート?」
 思わず俺は聞き返してしまった。
 それは俺に対しなじみの無い言葉であり、日常生活でも使わないものだったからだ。
 物凄い数字の羅列。
 聞いただけでも頭痛と眩暈に襲われる。
「知らない? 2とか3とかってさ、二乗するとその数になるものってないんだよ?」
「……ニジョウスルト?」
「えーっと」
 ジーンは近くにあった紙を手に取り、それに『5』と書いた。
 そしてその右上に小さく『2』を書く。
「これがさ」
 『5×5』。
 ジーンは更にそう書いた。
「こういうことになるんだ」
「……同じ数を二回かけること?」
「うん。でも、2とか3とかはその数が――無い」
「そうなのか?」
 それは初耳だった。
「いや、厳密に言うと無いわけじゃないんだけどね」
 ジーンはそう言って軽く苦笑し、それから小さく息を吸って。
「1.7320508075688772935274463415059。
 ――これ、なんだか知ってる?」
 一息に、そう言った。
 悪いがジーン、俺はそんなもの知らない。
 なんと言ってもそんなもの、勉強したことすらないのだから。
「知らないな」
「これを二つかけると――要は二乗すると――3になる数」
 『√3』
 紙にはそう、書かれた。
 詰まるところ、ルートってのは――
「割り切れない数を表すものか?」
「大正解。凄いね」
 ジーンは笑った。
 凄くなど無い――と思う。
 今も頭が痛いし、多分ジーンが言ったように数を覚えることも出来ない。
「でもミスト、どうしてルート知らなかったの?」
「……実を言うとな、ジーン」
「うん」
 まぁ、いいか。
 教えたところでどうにでもなるわけじゃないし。
「実は俺は、そんなこと知らない」
「…………え?」
「だからな。そういった数学関連のことなど習ったこともない、わけだ」
「うそだぁ」
「本当だ。現にこう言ったことは全然理解できない」
 ジーンは目を丸くしていた。
 ……信じられない、と言った様子だ。
 人には苦手なものの一つや二つ、あるだろう?
「……信じられない」
「だろうな。その顔だと」
「だってミストの部屋にある本、あれ」
「あれは親父のだ。一通り」
「あれにだって出てきてたよ、ルート」
「……本当か?」
 全く気付いていなかった。
 いや、出ていたかもしれない。
 ただ、俺が知らないだけで――
「……ミスト」
「何だ、ジーン」
「もしかして、その意味理解しないで『ああこうなるんだな』って結果だけ覚えてない?」
「……正解だ」
 答えると、ジーンはあからさまに溜息をついて見せた。
 そこまで呆れられると、何となく悪いような気分になる。
「悪い」
「何で謝るのさ……とりあえず、サイサリスに教えてもらえば?」
「……なんでそこであの馬鹿の名前が出てくる」
 自分でも、声音が下がったのに気付いた。
 どうも俺は、あの馬鹿関連の話題になると機嫌が悪くなるらしい。
 ジーンに指摘されるまで気付かなかったが、眉間に皺もよるらしい。
「だってオイラ、ルートはサイサリスに教えてもらったよ?」
「……は?」
「だから。サイサリスに教えてもらったんだってば、ルート」
 ……嘘だろう?
 あの馬鹿が、これを、お前に?
 それこそ、信じられなかった。
「ねぇミスト、ミストはサイサリスのこと、好き?」
 突然、ジーンはそう言った。
「……どういう、意味だ?」
「怒らないでよ。あー、好きか嫌いじゃないね……どう思っているか、かな」
 時たま、この小さな錬金術師は突拍子もないことを聞いてくる。
 俺はそれが理解できない。
 現に今も、こうやって尋ねてくる。
 俺にさえ、理解できていなことを。
「ねぇ?」
「……さぁ」
「ハッキリ答えて?」
 ジーンの顔が迫る。
「……ルート、みたいなもの、だ」
 俺は困惑しながらも、なんとか言葉を紡いだ。
 割り切れない感情。
 奴は嫌いじゃない。
 ただ好きかと聞かれると――返答に困る。
 だから、割り切れない。
「へぇ」
「そりゃよかったぁ。もしここで『嫌いだ』なんていわれたら俺もうショックで死んじゃってたかも」
 ジーンの後に、今一番聞きたくない声が響いた。
 その声の主は、今話題に上っていたもので。
「でも、ミストがルート分からないなんて意外だなぁ」
 その言葉から、奴が俺とジーンの会話をかなり最初から聞いていたことが推測された。
 さっきのジーンの質問も、ジーンは奴を見たからしてきたのだろう。
 ……まずい。
 とてもまずい。
 奴のことだからきっと、腰に手を回してまたどうしようもない事を――
「じゃあミスト、俺が教えてあげるよ。手取り足取り腰も取り」
 ……やっぱり。
 とりあえず、答える代わりに蹴りをくれてやろう。
 それからこの場から逃げて、見つからない場所まで走って。
 後のことは――それから考えよう。
 感情を割り切るのもその後だ。
 とりあえず、今は。
 この変態野郎から逃げることを、考えなければ。
「ふざけてんじゃねぇぞこの脳味噌ド腐れ野郎っ!!」

           あとがき。
             ルート2とか3とか、母はあの数字の羅列まで覚えたらしいです。
             大変だな、としか思えません。
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