<パステルエナメル>

 その日、彼は絵を描いていた。
 屋上で、屋上から見える蒼穹と白い雲を。
 彼の足元には青と白の絵の具が転がっていた。
 ふと、彼は振り返った。
 そこには少女がいた。
 少女は小さく笑い、そして口を開いた。
「綺麗な、絵ですね」


 次の日、彼は絵を描いていた。
 屋上で、屋上から見える夕焼けの空を。
 彼の足元にはオレンジと赤と、それから灰色の絵の具が転がっていた。
 ふと、彼は振り返った。
 そこには、少女がいた。
 少女は昨日と同じように笑い、そして口を開いた。
「綺麗な、絵ですね」

 
 その日も、彼は絵を描いていた。
 屋上ではなく、展望室から。
 展望室から見える重く、垂れ込めた空を。
 彼の足元には灰色と黒の絵の具が転がっていた。
 ふと、彼は振り返った。
 そこには、あの少女がいた。
 少女はまた笑い、そして口を開いた。
「綺麗な、絵ですね」


 その日もまた、彼は絵を描いていた。
 屋上から、自分の頭の中にある何かを。
 彼の足元には何種類もの絵の具が転がっていた。
 彼の描いている絵は、悪趣味といいたくなるような極彩色だった。
 それでも、少女は笑って口を開いた。
「綺麗ですね」


 その次の日、彼は口元を歪めて絵を描いていた。
 後ろから聞こえてくる足音に、更に唇を歪ませる。
 そして、振り返った。
「この絵を、どう思う?」 
 尋ねられた少女は、少し首をかしげながら答えた。
「綺麗だと思いますよ?」
 彼は心の中で、この嘘吐きめと毒づいた。
 その絵は、ただ一色、パステルエナメルという絵の具で塗られていた。


 ある日、彼は彼女についての噂を聞いた。
 彼女が色盲だという噂を。
 だから、彼は絵を描いた。
 下書きだけの、何の色も塗られていない絵を。

 少女はいつかと同じように笑って、答えた。
「綺麗な絵ですね」、と。

 そして彼は気付いた。
 彼女が言った、『綺麗』という言葉。
 その言葉の意味を。
 その『綺麗』が差しているのが、色彩ではなく、自分の絵だということに。

           あとがき。
             パステルエナメル=象牙色。ポスターカラーの一色。
             学校で使う絵の具の中には入っていない色。
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