<白鷺>

 ぎしりと椅子がなる。
 長時間細かい字を眺めていたせいで、変に肩がこっていた。
 仕事は、殆ど、終わった。
 今日の晩飯は何だろうと、ぼんやり考えていたら、
「ミスト」
 木製の扉から、ジーンが顔を覗かせた。
「何だ?」
「ビャクロ、って知ってる?」
「ビャクロ?」
 聞き返すと、ジーンはそうと頷いた。
「何かサイサリスが歌ってるんだけど、それがわからない」
「……奴が?」
「うん。今、中庭で」
 小さく溜息をつく。
 今度は何をやらかしてんだ。
「……」
 無言のまま、市長室を出る。
 その後ろからジーンが付いてきた。
 廊下を、ミストは早足で歩く。
 途中で何度か僧達に声を掛けられたが、それを全て無視して。
「ジーン、早いか?」
 振り返らずに問う。
「ううん、全然」
 返ってきた声は少し、辛そうだった。
 少しスピードを落として、中庭の見える場所まで歩く。
 そこには、確かに奴がいた。
 自称・聖神。
 サイサリスと名乗る男が。
 空を見上げ、よく通る声で歌を歌っている。
『待ち続けよう、貴方の事を 私には貴方しかいないのだから。
 他の誰かに従ずるならば いっそこの舌噛み切って いっそ死んでしまおうか』
 高い、少年のような声。
 死んでから数年で、老化が止まったのだと。
 何時か彼が言っていた言葉を、ミストは思い出していた。
『貴方にしか従じない。それが我ら白鷺(ビャクロ)の運命
 貴方しか思えない。私の心は貴方のもの。他の誰にも縛られない。
 貴方しか受け入れない。私の体は貴方のもの。他の誰にも渡さない。
 だから――私を愛していて』
「何歌ってんだ、お前は」
 二階の廊下から声を掛けると、サイサリスは驚いたようにこちらを仰いだ。
 翠の目が細められる。
「や・ミストー」
「何、歌ってんだ、お前、は」
 呑気に笑うサイサリスに、ミストは半目を向けてそういった。
 少しの間考えてから、サイサリスは真顔で
「大人の童謡」
 そう、言った。
「……童謡ってのはガキが聴くから童謡なんじゃ……」
「いーのいーの。だって歌詞が子供向けじゃないんだから」
 にこりと笑う。
 小さく溜息をついて、ミストは手すりに頬杖をついた。
「んで? そのビャクロってのは何なんだ?」
「あれミスト知らない? 白鷺のことだよ」
「……シロサギ?」
「そー。この街にもいるじゃん」
「まぁ、いることはいるが」
「それをねー読み方変えたらしいよぉ?」
 にしし、と笑うのが分かる。
 そんな自称カミサマを無視し、ミストは振り返った。
「シロサギ、だとよ」
「そっかー。ありがとミスト」
 笑い、少女は廊下を走っていく。
 また僧達に怒られるなと内心呟き、再び中庭に視線を移す。
「ミストー知ってる?」
「何をだ」
「白鷺ってね、相手を一生に一羽しか選ばないんだって」
「それで?」
「んー……そういうのも良いな、って」
「……」
 三度、溜息をつく。
 片手を手すりについて、床を蹴る。
 後ろで僧が息を飲むのが分かった。
 二階から飛び降りるくらい、なんでもないのに。
「いつ見てもお見事」
「お褒めに、預かり、なんとなくムカつく」
「それって『至極恐悦』なんじゃ……?」
「いいんだよ。お前相手じゃ『なんとなくムカつく』で」
 半目を向けると、サイサリスは笑っていた。
「やっぱり、お前馬鹿決定」
「んなっ!?」
「お前、一人で生きてけるのか?」
「……」
 サイサリスは苦笑を浮かべたまま、見事なまでに固まった。
 腕を組んでミストはそれを眺める。
 生きていけるはずが無い。
 誰かに触れていないと自殺図るような奴が。
「……無理でした」
「だろうが。美談だけどな」
「うん。綺麗だよねー……流石、イリスの歌だ」
「誰だ?」
「カインの、お母さん。俺の前に聖神やっててねー……綺麗だったよ。こんな世界を見捨てずにいた」
「……」
「……昔の、話だけどね」
「……そうか」
 慰めなど言わない。
 言えないし、欲しがっているとも思えない。
「帰るぞ。腹減った」
「うぃーっす。今日はジーンのリクエストでハンバーグでぇす」
「……了解」
 頷いて、空を見上げる。
 白い鷺が二羽、寄り添って飛んでいた。
「白鷺、か」
 生まれ変わるならそれも良いな。
 声には出さずに呟いて、ミストは家へと向かった。
 今日の夕飯はハンバーグだ。

           あとがき。
             白鷺=シロサギ。
             音読みにするとビャクロ。
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