<小指の爪>

「あ」
 嫌な音と共に、小指の爪がもげた。
 白いキーボードに点々と血が落ちる。
 赤い血溜まりが出来ていく。
 赤い赤い、血。
 何で赤いんだろう。
 何でまだ赤いんだろう。
 何で他の色じゃないんだろう。
「おい」
 顔を上げる。
 アイウント・フィルツィヒストが、いた。
 黄金色の目を怪訝そうに細めている。
「何?」
「指」
「あぁ」
 曖昧に答えると、彼はキーの合間にあった小指の爪を掲げて見せた。
 半透明な、それ。
 根元からぼっきりと、もげていた。
「痛くねぇの?」
「痛いわよ」
「顔に出てない」
 笑いながら、彼は小指を口に含んだ。
 笑う。
 その笑い顔が、好きだ。
 歪んだ笑い顔。
「我慢できるもの」
 そう言いながら、血溜まりを眺める。
 赤。
 鮮やかな赤。
 まだ赤い血。
 どうして他の色じゃなかったんだろう。
 他の色だったら、よかったのに。
 他の色だったら人外生物だということを認めれたのに。
「打ち辛くねぇ?」
「何が?」
「キーボード」
 確かに。
 爪がもげた右小指は、普段エンターを押したりするのに使う。
 暫くは打つたびに痛みが走るだろう。
 まぁ、三日もあれば生えてくるだろうけど。
「打ち辛いかも」
「なんか、他人行儀だな」
「感覚なんてそうないわ。そういう点では他人の体よね」
「ふーん」
 開放された小指をみる。
 肉が、見えていた。
「無いと不便?」
 訊ねてくる。
 その様子は子供のようで。
 多分、私は笑っている。
「私みたいにキーボードを使う人は。あれよね」
 一旦言葉を切る。
 黄金色の目が不思議そうに私を見下ろす。
「無くならないと気付かないなんて、皮肉なものだわ」
「……まぁな」
 彼の右手の甲に触れる。
 誓いの証が、そこに在る。
「でもまぁ、三日もあれば生えてくるから」
「そうですか」
「そうですよ」
 再びキーボードに向かう。
 血はもう、止まっていた。
 でも暫くは何かで覆っておかなければならない。
 他の『人間』に不審がられるわけには、いかないから。
「まぁ、気にしないでアイウント」
「……Ja,Mutti」
 笑う。
 歪んだ笑み。
 貴方も、失ってはじめて知ったものがあるのかしら。
 そう思った自分を、私は存分に嘲った。

           あとがき。
             爪がもげたことはまだないですが。
             相当痛いそうです。
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