ゆらゆら
 ゆらゆら
 揺らぐ水の中を
 泳ぐ極彩色の

<熱帯魚>

 水槽の縁を叩けば、水面近くに熱帯魚達が上がってくる。
 落とされた餌を啄み、追って潜り、また上がる。
 何度も何度もそれを繰り返し餌を食べる魚達。
 ソファーからそれを見ていた子供は、小さく鼻を鳴らした。
 餌をやっていた男はそれに気付き、振り返る。
「どうかした、リン」
「なんでもねぇよ。つーか片言で人様の名前呼ぶんじゃねぇ」
「はいはい」
 おっとりと笑う男。
 眉根にしわを寄せて、リンと呼ばれた子供はテーブルの上に足を乗せた。
「はしたないよ」
「うるせぇ。どうせお前と俺しかいねぇんだ」
「あたし」
「……るせぇ」
「まぁ一人称の方は後々直していくとして――足はやめてくれないかな」
「……」
「零?」
「わぁった。わぁった、やめりゃぁいいんだろ?」
「うん」
 微笑を浮かべながら、男は零の向かいに座った。
 緑の双眸を向け、一言。
「それで――何か言いたそうだったよね?」
「……べっつに」
「いいよ、言っても」
 爽やかな笑みを浮かべる男を一瞥し、零は小さく舌打ちをする。
 それでも男は笑っていた。
「千尋」
「何?」
「人間は何でも飼いならそうとするんだな」
「……そうかなぁ」
 緑の双眸を細めながら、男――千尋は答える。
 そうだろ、と呟き、零は続けた。
「お前のその熱帯魚が良い例だ」
「言われてみれば、そうかもね。でも――」
「あぁん?」
「それは本当に、不幸なコト?」
「……決まってんだろ」
「そうかな? それは君の主観だ。
 その世界しか知らないのであれば――それは全てであり、不幸ではない」
「戯言を」
 殆ど吐き捨てるように、零は言う。
 それを聞いた千尋は、笑った。
 無邪気な、何かが欠落してしまったような顔で。
「そう言えば――零、君は『トモダチ』が欲しいって言ってたよね?」
 その一言に、零の肩は跳ね上がる。
 愉快そうにそれを見、千尋は続けた。
「友達になるって、どういうことか知っているかい?」
「……知らねぇよ」
「そうだよね。いないから」
「……」
「いい機会だから、教えてあげるよ。仲良くなるってどういうことか」
 零は青い目で千尋を見る。
 千尋は緑の目で零を見た。
 緑が笑う。
「飼いならす、ってことさ」
「っ――ふざけんなっ!!」
「ふざけてないよ」
「ふざけてんじゃねぇかっ!! 違う、仲良くなるってのはそんなことじゃねぇっ!!
 お互いに信頼しあって、大切だって思えて、それでっ」
「そんなのは理想論でしかないよ。実際仲良くなるってのはね、いかに相手を自分の思い通りに動かすかってことさ。
 そうだろう?」
「っ――知ら、ねぇよ」
「ああそっか。君には一人も友達がいないからね」
 ごめんよ、と上面だけの謝罪をする千尋。
 その顔面に向けて、零は拳を繰り出す。
 驚異的な速さと威力を持ったそれた間違いなく千尋の顔面に入る、
 はずだった。
「ごめん、ね?」
 穏やかな、しかし上面だけの声で千尋は言う。
 片手で零の拳を受け止めて。
「……謝る気もねぇくせに」
「うん、わかった?」
「……人を見くびるな」
 吐き捨てるように言って、零は拳を下げる。
 肩が小さく震えていた。
「テメェにゃ何言っても、無駄なんだ」
「そうかな」
「だってテメェは自分のことを神だと思ってやがる」
「実際そうだしね」
「……テメェは」
「何?」

「俺のことも飼いならそうとしてやがる」

「……そんなこと、ないよ?」
「っ……ともかく、俺はお前の言った『仲良くなること』なんて信じない」
「まぁ、いいけどね」
 わざとらしく千尋は肩を竦める。
 それを一瞥し、零は部屋を出た。
 最後に、一言。
「俺はお前に飼いならされない」
 そう呟いて。
 ただ、千尋は笑うだけだった。
 ソファーに背を預け、静かに後ろの熱帯魚を見やる。
 ゆらゆらと、揺らぐ水の中を泳ぐ極彩色の魚達。
 整えられた環境の中でしか生きることのできない者達。
「気付いていないのは幸か、不幸か……」
 開け放たれた扉、その向こうを歩いているだろう少女に向けて。
 ただ、呟く。
「もう、飼いならされてるよ? 零」
 その呟きを少女はまだ知らない。

           あとがき。
             友達になる=飼いならすという定義は星の王子様より抜粋。
             知らなければ不幸は不幸になりえない。
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