竜の瞳は全てを見回し
 竜の血は不死の命を
 竜の牙は力を与える。
 そう、竜は全てを司る。

<竜の牙>

 イスィビリ渓谷に住み着いた竜の話は、昔から語られていた。
 曰く、『イスィビリ渓谷に住み着いた魔竜は、近づくもの全てを喰らい尽くす』と。
 誰もが御伽噺と括っていたそれは、しかし、現実のものとなった。
 イスィビリ渓谷のすぐ傍にある集落から懸賞金が出たのだ。
 その話は大陸中に伝わり、各地の腕自慢が集まるという結果になった。
 その中に、一人だけ女性が混ざっていた。
 黒髪を短く切った、十代後半位の女性。
 背中にその背丈と同じ大きさの剣を背負ったその姿は、傍から見ても異様な物だった。
 当然、目立たないわけが無い。
「何処から来たんだ、嬢ちゃん?」
「……イスィフラヌからさ。それと」
 親指で肩から提げた帯の金具を外し、同じ手で帯を引く。
 背中から回ってきた剣の柄を片手で掴み、女性は剣を抜いた。
 その間、わずか三秒。
 話しかけた男は、鼻先に突きつけられた切っ先に驚いて腰を抜かした。
「あたしを嬢ちゃんって呼ぶんじゃない」
「…………そこいらで止めときな」
 女性の肩に、大柄な男が手を置く。
 あからさまに鼻を鳴らして、女性は剣を柄にしまった。
 再び金具を掛けて、剣を背負う。
「それで? 件の魔竜が住んでるのは?」
「もう少し先だ。夕刻前には着くだろう」
「了解」
 短く呟いて、女性は歩き出す。
 その後ろを、大柄な男性も付いていく。
「あんたも、竜の血を?」
「当然だろ。不老不死が手に入るんだ」
「……まぁね」
 肩を竦める女性。
 彼女が付いた小さな溜息に、男は気付かなかったようだ。

 彼は振り向いた。
 人、それも大勢の気配を感じたから。
 左右で色の違う瞳を伏せ、溜息を付く。
 どうして。
 問うても答えが無いのは分かっていたが、それでも問わずに入られなかった。
 黒衣を引き、少し助走をつけて踏み込む。
 布が裂ける。
 現れた双翼で、彼は、飛んだ。
 
「現れたぞっ」
「イスィビリの魔竜だっ!!」
 男たちが口々に叫ぶ中、ただ一人の女性は溜息を付いた。
 どうしてこう、人間は。
 思っても口には出さない。
 顔を上げれば、そこには少年がいた。
 人間で言えば十にも満たないだろう。
 背中にある翼が、彼を竜だと声高に主張していた。
「逃げるものは追わないっ、今すぐ帰るのであれば、命はとらないっ!!」
 高い、幼い声。
 周りで男達が笑うのが分かる。
 甘いことを、と言いたいのだろう。
「何をっ!!」
 笑いながら、男の一人が発砲した。
 まだ首都近辺でしか実用化されていないロケット砲だ。
 銃弾は竜の肩を抉り、宙に赤い華を咲かせた。
 竜が顔をしかめる。
 そうしている間に、ロケット弾はその片方の翼に穴を開けた。
 がくん、と体制を崩す竜。
 鮮血が、空を染めた。
 歓喜の声を上げ、男達は竜に走りよる。
 女性は眉をひそめる。
 ゆったりとした足取りで、竜に近寄る。
 血の海の中に竜は倒れていた。
 びくびくと、その体は痙攣している。
 蟻のごとくその周りに群がる男達は、我先にと地面に這いつくばり、血を舐めている。
 とても醜悪で、滑稽な光景だった。
「竜」
 女性が口を開く。
 男達は気付いていない。
 竜は、微かに顔を上げた。
 黒と橙の、色違いの瞳。
 白い肌は血に塗れ、凄惨さを醸し出している。
「……ぁ……」
 口を開くが、声は出ない。
 女性は溜息をついた。
 ぱくぱくと口を動かす竜は、噂に聞く魔性など何処にも見せていない。
「……助けてやろうか?」
 にたり、と口の両端を歪めて女性は問う。
 竜は目を見開いた。
「条件がある」
 首を傾げる竜。
 何か思いついたらしく、すぐに首を振る。
「……誰も、貴様の血を欲しているわけではない」
「…………」
 じゃあ、と無言で訊ねる竜。
 笑う女性。
「牙をよこせ」
「……!」
「どうする?」
 諮詢の後、竜は頷く。
 くすり、と女性は笑った。
 先程の笑みとは違う、笑い方。
 親指で肩から提げた帯の金具を外し、同じ手で帯を引く。
 背中から回ってきた剣の柄を片手で掴み、女性は剣を抜いた。
 それを、血に群がる男たちに向けて振り下ろす。
 竜の血の中に、人の血が混じった。
 残った男たちが、驚きの視線を向けてくる。
「――不老不死がどういったことか分かっているのか? 人間」
「何を――」
「永遠に時を過ごさねばならない苦痛を分かっているのか?」
「何を言って」
「第一、人が竜の血を舐めたところで不老不死に離れない」
「……え?」
「バケモノになるだけだ」
 笑う――哀れむように。
 群がっていた男達の体が膨れ上がる。
 ごきゅ、ごきゅごきゅと骨が擦れる音。
 みちりという肉の盛り上がる音。
 竜が目を見開いた。
「……お前も知らなかったのか?」
 無言で頷く竜。
 女性は男達だった物に視線を向ける。
 意味も無い言葉を口にする、男達だったモノ。
「竜が不老不死でいれるのは竜だからで、そもそも竜の体組織は人間の物と大きく違っている」
 それに剣を構える女性。
「人が竜の血を飲めば――不老不死にはなれど理性を失い」
 血に濡れた大剣は夕日を受け、紅く光る。
「人でも、竜でさえも無い、ただのバケモノになる」
「……っ」
 そんな、とでもいいたいのか、竜は上半身を起こす。
 そして頭を振った。
 なんで、どうして。
 どうして。
 どうして。
 声は無かったが、そう言っているように、少なくとも女性には見えた。
 目を細める。
 夕日を受け、紅く染まる無残な粘土細工。
「……もう一度言う。牙をよこせ」
「……」
「俺は、不老不死なんかに興味は無い。ただ、力が欲しい」
「……っ」
「だから、よこせ」
「!」
 頷き、そして、右手を伸ばす竜。
 その手には、白い牙が在った。
 噂に聞く竜の牙。
 血ほどの力は無いが、持つ物に力を与えるという代物である。
 それを受け取り、強く握る。
 再び開いた手にはもう牙は無かった。
 両手で剣を握り、人では無くなったモノたちへと向かう。
 飛び散る、それだけはまだ悪夢のように赤い血。
 受ける女性は、顔色一つ動かさない。
 橙は信じられないというように目を見開いた。
 少ないとはいえ、竜の力を持つ者達。
 それを、簡単に屠っていく女性。
 ほどなくして、渓谷には竜と女性しかいなくなった。
 血に濡れる剣を担ぎ、歩いてくる女性。
 竜は身構える。
「……殺す気はない。信じてはもらえまいが」
「…………」
 無言のまま頷き、体を起こす。
 血はもう止まっていた。
「……助かりました……」
「礼などいい。一つ、聞きたいことがある」
「……何?」
 警戒を解かずに竜は訊ねる。
「貴様の名前だ」
「!?」
「名乗れ」
 否定を許さない口調。
 俯きながら、竜は答えた。
「ぁ……アマシュミ・アイスィスパ・ネスィシヤガロルニェ……」
「……イスィシヤガロンビリを知っているか?」
「!!」
 彼は思わず目を見開いた。
 女性の口から出たのは、竜の名前。
 大抵、人間は竜の名前など知り得ない。
 それなにの、彼女は。
「知っているかどうか訊ねているのだ」
「……知らないっ……」
「そうか」
 立ち上がる。
 そこいらに転がっていた男の服を剥ぎ取り、剣についた血を拭う。
 鞘に戻し、再び前で金具を止める。
 黒い双眸で、足元に転がる竜を見やった。
「ならば用は無い」
「……って」
「あ?」
「ま……待って」
 怪訝そうに眉をひそめる女性。
 震えながら、それでも竜は女性を見上げた。
「僕を殺さないの?」
「言ったろう。殺す気は無い。殺す必要も無い」
「どうして」
「あ?」
「どうして? 竜は忌むべき存在で、人にとって天敵で……死んで当然なのに」
 がり、と女性は竜に近寄った。
 ぴくんと肩を跳ねさせる竜。
「本当にそう思っているのか?」
「だって……」
「……人にとっては天敵でも、俺にとっては天敵ではない」
「え?」
 黒と橙が、驚きに満ちる。
「……貴様は本当にそう思っているのか? 自分が死んで当然だと」
「…………………うん」
 ぴき、と。
 音で現すとそんな感じだろう。
 女性の額には青筋が現れた。
 かつかつと竜に近寄り、その腕を掴む。
 色違いの双眸は怯えを孕んでいて。
「来い」
「……え?」
「俺と来い」
「……何、で?」
「……自分が死んで当然だと? 何をふざけたことを抜かしてやがる」
 片手で、竜の少年を自分の目線と同じ高さまで持ち上げる。
 小柄な、言われなければ竜と気付かないような、そんな少年。
「教えてやろう。この世界の真実を、理を」
 そのまま、少年を肩に担ぐ。
「は、離してっ!!」
「貴様に俺に命令する権利は無い。ついでに否定権もな」
「やだっ、やだってば!! 僕は竜で、イスィビリの魔竜で、それで」
 足を止める女性。
 肩に担いだ竜と、再び目を合わせる。
「だから?」
 今までからは考えられないほど穏やかに、そう訊ねた。
 竜は言葉を失う。
 再び、今度は抱きかかえて女性は歩き始めた。
 肩口に顔を埋め、震える竜。
「おい、竜」
「っ……」
「貴様の名前は長い。だから俺は貴様を橙と呼ぶ」
「……ダイダイ?」
「貴様の目の色のことだ」
 竜の重さを感じさせない、軽やかな足取りで女性は歩く。
 しばらく肩口に顔を埋めていた竜が、不意に顔を上げた。
 そして訊ねる。
「あなたの、名前は?」
「……通り名を、黒曜」
「こくようさん?」
「ああ」
「僕は、橙?」
「ああ」
「うん」
 再び肩口に顔を埋める竜の少年――橙。
 少年を抱えたまま、大剣を背負い、黒曜は歩いた。
 夕日はすでに沈み、空には月が輝いていた。

           あとがき。
              うお長ぇ。話によって長さがまちまちなのが私の欠点でしょう。にしても長ぇ。
              このサイトでもっともファンタジーらしい話だと思う。
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