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<携帯電話>

「みてみぃチョコ、あの廃ビルで特保隊員が十人も殺されたらしぃで」
 世も末やなぁ、とその男は笑いながら言った。
 片膝を立て、新聞を見ながら笑っている男。
 チョコと呼ばれた少女――松葉心暖(ここあ)は半眼を向け、それから溜息をついた。
「店長」
「んー?」
 顔を上げる。
 白の合間から覗く、血の色をそのまま写した瞳。
 羽織も長着も、肌の色も白いので、その赤はやけに映えて見えた。
「あたしは心暖。チョコじゃないの」
「どっちもおなじやん」
「違うわよ」
 にこにこと笑い、新聞を畳む男。
 この萬屋(よろずや)『泰山府君』の店長である福乃(ふくの)。
 心暖はそれしか知らない。
 初めて会った時に、それしか名乗らなかったのだ。
 だから心暖は、福乃を『店長』と呼ぶ。
 一応年上であるので、一応敬意を払っているのだ。
 あくまで一応ではあるが。
「それでな、チョコ」
「ココア、です」
「ちょいとお使い頼まれて欲しいんやけど」
「……構いませんが?」
「ほんま? うれしーわぁ。この包みを届けて欲しいの」
 そういって差し出したのは、古風にも風呂敷で包まれた何か。
 唐草模様のそれを掴みあげる。
「どこまで? 店長」
「神無月探偵事務所、地図いるん?」
「いるわよ当然。あたしはそこ知らないんですから」
「ほな、これな。あと最近物騒やからこれ持って行きぃ」
「は?」
 立ち上がった福乃が差し出したのは、携帯電話だった。
 折りたたみ式の、しかも先月出たばかりの新しい型の物。
 そこそこ値段の高いそれを、どうして彼が持っているのだろう。
「何これ」
「ケータイ、やけど?」
「見ればわかる。何で店長が持ってるの?」
「いや、チョコに何かあったら大変やなぁー思うて。何かあったら短縮の一番やで? 俺の番号入れといたから」
 そう言って、左手で色違いの携帯電話を掲げて見せる。
 自分を気遣ってくれる白髪の青年に、心が温かくなる。
「ありがと」
「どーいたしまして」
 アクセントの違う謝礼の言葉を背に、心暖は店を出た。
 その背中を見送る男を、心暖はまだ知らない。


 地図にはご丁寧に、探偵事務所までの道のりが赤線で記されていた。
 電信柱に記された番地と地図を照らし合わせながら、風呂敷を片手に歩く。
「次を右、ね……曲がり角が多くて嫌になるわ」
 誰にともなく呟き、立ち止まって辺りを見回す。
 新興住宅地であるこの町は区画整理されているが、そのために曲がり角が多い。
 慣れなければ、確実に迷子になれるだろう。
「ったく、店長も自分で行けばいいのに…………って、無理か」
 あの容姿であれば、何処へ行くのにも目立ちすぎる。
 本人は目立つのを異様なまでに嫌っているので、彼が自分にお使いを頼むのも分かった。
 仕方ない、そう割り切って歩きだそうと
「っ!?」
 歩き出そうとした心暖の体は、不意に後ろへと傾いた。
 反射的に風呂敷を胸に抱く。
 口を首を押さえられ、そのまま路地裏へと引きずり込まれる。
 首筋に冷たい感覚。刃物だと、直感する。
「動くナ」
 自分を中心として、均等な円を描く幾人もの――男達。
 着崩れた黒いスーツ。
「動クと、首、とぶますね」
 片言の日本語。
 外国人――頭の中にそんな単語が浮かんだ。
「それ、渡すがよろし」
「っ……それって何よ」
 口を押さえていた手を叩き落として訊ねる。
 首にちりりと痛みが走った。
「動くな言ったよ」
「それ、が何か分からなきゃ渡せないわよ。わかりますたか?」
 首から冷たさが、背後からは人の気配が消える。
 振り返ればそこには、日本人のような顔立ちをした男が立っていた。
 けれども、日本人ではない。
 恐らくアジア系の――それも、裏世界の仕事に携わっている男なのだろう。
「データよ。アンタが持ってる、そノデータ。あの化物が渡す物なんて、私たちにとて良い物じゃないよ」
 男達が身構えるのが分かる。
 懐に手を差し込む――そこに何がある?
 左脇が奇妙に膨らんでいるのは何故だろう。
 背中を詰めたいものが滑り落ちていった。
 喉が渇く。
 舌が重く、張り付いたようだった。
「…………あたし一人じゃ、決められない。店長に伺いを立てないと」
「警察に電話するちがうね?」
「しないわよ。なんなら、貴方がかけてみれば?」
 ナイフを持つ男に、先程貰った携帯電話を渡す。
「短縮の一番よ」
「わかた」
 携帯電話を受け取り、言われたとおりの番号を押す男。
 相手はすぐに出たらしい、ニ・三言交わしてすぐに携帯電話は返って来た。
 それを耳に当てる。
「てん、ちょ」
『チョコ? 大丈夫……や、ないな』
「……てんちょう」
『データ、渡せ言われてんやろ? 渡してもええよ、それでチョコが助かるなら――』
「違うの」
『……何が』
「相手……持ってるの。その……多分、銃だと思う」
 言葉が、声が、震えていた。
『……チョコ』
「何……店長」
『今からそっち行く。せやから、一つ、呪文を唱えてほしいんよ』
「呪文……」
『泰山府君、其は汝なり。いえるか?』
「多分、いえる……」
『ほな、今呟いてみ? あと携帯、離さんといて』
「うん」
 頷く。
 男たちを見回してから、心暖は言われた言葉を呟いた。
「たいざんふくん、それはなんじなり」
『上出来や』
 風が吹いた。
 不思議なことに、それは――携帯電話から、吹いていた。
 あまりの突風に、心暖は目をつぶる。
「――意味、分かるやろ? あんたら中国系やモンなぁ」
 携帯電話越しではない、つい先程まで話していた男の声。
 同時に、何か重い物が地面に倒れた。
 風が止む。
 目を開ければ、そこに――店長がいた。
「てんちょ……」
「すまんな、チョコ。危ない目にあわせてもぉ!?」
 胸元に衝撃。
 見下ろせば、少女が抱きついていた。
 震える肩。
 電話越しの声も震えていた。
 十八歳の少女には、あまりにも異常な経験だったのだろう。
「すまん」
 頭をなでる。
 押し殺した泣き声が、くぐもって聞こえた。
 その髪の毛に、手櫛を入れる。
 黒い髪の毛。
 自分とは違う髪の毛。
「すまんかった」
 言葉は風に流される。


「それで、結局自分で来たんだ」
「んな冷たいこといわんといてー。しゃーないやろ、泣いてしもうたんやから」
 夕日を背に受け座る福乃に、鳶色の髪をもつ青年は苦笑した。
 相変わらずだねと呟いて、向かいのソファーにすわる青年。
「ほれ、これが例の情報。途中で嗅ぎ付けられとったから、相手さんも焦っとるよーや」
「気をつけとく」
「それが一番や」
 大変やなぁ、そう呟いて、福乃は目を細める。
 両手で、最新型の携帯電話を弄びながら。
 青年の視線に気付いたのか、福乃は軽く笑った。
「どうかしたん?」
「珍しいな、って思って。だって福さん、そういうのに疎いから」
「これなー。心暖がおるから買ったんよ? あの子は人や。俺とは違う」
「……自分のことそういうのも、珍しいね」
「しゃーないんや。今日あの子が襲われたんも、半分は俺のせいやし。
 守ってやらんと、あかんよ――お前だって分かるだろうが、陸人」
 独特のイントネーションを含まずに囁かれた言葉。
 手元に視線を落とし、青年はそうだねと呟く。
「お前はお前のやり方でアルビノを守るし、俺は俺のやり方であの子を守る。
 ――なーんも問題、あらへんやろ?」
「うん」
「それになぁ」
「うん」
「俺、最近人やのーてもええと思うんよ。あの子は――俺のこと、知らんけどな――俺と一緒にいてくれる。
 あの子のおかげで、この世界と繋がってやれるんやから」
「……うん」
 そうだね、と、眩しそうに目を細めて呟く陸人。
 夕日を背に、福乃は立ち上がった。
「帰るわ」
「うん」
「また来るわ」
「うん」
「今度は、アルビノがいるときに、な」
「うん」
「ほな」
「……うん」
 最後の言葉を返したときには、もう既に福乃はいなかった。

           あとがき。
             また破壊的に長い物を、と自分でも後悔してます。
             携帯電話ほど安易に、そうしてすぐにつながる物はないと思います。
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