その日、王子はたまたま外交に出かけていて、
 その日、兵士はたまたま王子についていって、
 その日、姫はたまたま夜遅くまで起きていて、
 その日、
 魔法使いが、その国に攻めてきた。
 
<真昼の月>

 重たい瞼を擦りながら目を開ければ、ここ最近見慣れた天蓋が目に入った。
 上半身を起こし、背伸びをする。
 すぐ脇から押し殺した笑い声が聞こえたのは次の瞬間だった。
 首を巡らせて声の主を見る。
「おはよう、姫」
 すぐ脇に、声の主はいた。
 青みがかかった銀糸の糸を持つ、中世的な容姿の人物。
 それでも声は低く、少しノイズを含んでいる。
 そのまま手と顔が降りてきて、髪の毛に唇が触れた。
「おはよう、魔法使いさん」
「もう、こんにちわの時間だけどね」
 姫と呼ばれた少女は、くすぐったそうに肩を竦ませて笑う。
 視界の端で、色の違う双眸も笑った。
 黒のシルクハットを手に、魔法使いと呼ばれたその人物はベッドから離れた。
 そのまま窓に近づき、重たく垂れるカーテンを開ける。
 窓の向こうには緑の森と、それから見事なグラデーションを彩る青い空が見えた。
 振り返る魔法使い。
 窓の向こうの空を見ながら、姫はぽつりと呟く。
「いい天気ね、今日も」
「そうだな」
「空が綺麗だわ」
「……ああ」
「魔法使いさんの目の色みたい」
 その瞬間、空気が凍った。
 それまで笑みを湛えていた魔法使いの双眸から表情が消えたのだ。
 青と、空のグラデーションをそのまま持ってきた瞳が鋭く姫を見据える。
 にたりと、歪んだ笑みを浮かべる魔法使い。
 何かを言おうと口を開き――
「……まったく」
 出てきたのは先程からは考えられないほど高い声だった。
 ああ、と姫は納得する。
「おはよう、魔女さん」
 彼ではなく、彼女が出たのだと。
「おはよう、なんて呑気にあいさつしてる場合? 彼の時に、瞳の話題はタブー。
 最初に言ったはずでしょう」
「うん。でも」
「でも?」
「大変になったら魔女さんが出てくれると思ったから」
 だから思ったことを言ったまでよと、姫は言う。
 溜息をつき、早足で『魔女』は部屋の入り口へと向かった。
 半分だけ扉を開け、首から上だけでこちらを見、そうして言う。
「もう昼御飯の用意は出来てるわ。着替えて降りてらっしゃい」
 紺灰色と、それだけは先程と変わらない、空のグラデーションをそのまま持ってきた瞳で姫を見て。
「早く来ないと、食べちゃうわよ?」
「わかったよ、魔女さん」
 少女が頷いたのを確認し、『魔女』は扉を閉めた。
 今日が、始まる。
 
 森に住む『魔法使い』と『魔女』は、ただの伝説だといわれてきた。
 青銀色の髪と、空を映した瞳を持つ『彼』と『彼女』。
 姫が二人と初めて会ったのはほんの数週間前。
 たまたま夜更かしをしていた日に、『魔法使い』が城に責めてきたのだ。
 後から聞いたところ、『暇つぶし』だったらしい。
 暇つぶしで国一個が滅びかけるなんて笑い話にもほどがあるが。
『貴方、毎日ここで同じことしてつまらなくない?』
 やってきたのは『魔法使い』だったが、会話を交わしたのは『魔女』の方だった。
『お茶会にいらっしゃいな。貴方が喜ぶような全てをあげるわよ』
 そう言って笑い、手を差し伸べた『魔女』
 ――日常に飽き始めていた姫は、迷わずその手を取ったのだった。
「魔女さんは食べないの?」
「魔女さんは食べなくていいの」
 姫が座る対面に座りながら、彼女――『魔女』は笑っていった。
 左の紺灰色の瞳が、彼女であることを示している。
「どうして魔女さんと魔法使いさんは同じ体にいるの?」
 朝食である、作りたてのパンを頬張りながら姫は聞く。
 城であれば「はしたない」と叱責されるところだが、彼も彼女もそんなことはしなかった。
「どうしてだと思う?」
「うーっ……わからないから聞いてるんだよ」
「そうだったわね。まぁ、強いて言うなら……私は私のまま彼であることが在り得たからよ」
 姫はその茶色の双眸を真ん丸く見開いた。
 少し抽象的すぎたわね、と魔女は笑う。
 空のグラデーションと、紺灰が細められる。
 左の瞳が紺灰色の時は、『魔女』たる彼女。
 左の瞳が青の時は、『魔法使い』たる彼。
 『彼』と『彼女』が入れ替わるたびに、左の目の色は変化する。
 それでも、右の空のグラデーションは変わらない。
「分かりやすく言えば、何かしらね……ああ、丁度いいものがあったわ」
 一人ごちて、魔女は天窓の向こうを指差す。
 己の属する世界が終わったにも関わらず、未だ中天に残る薄い白。
 真昼の月が、そこにあった。
「あれみたい、って言えばいいかしら」
「よく分からないよぅ」
「……在るべき世界はそこではないのに、それでもそこに居続けようとしている」
「魔女さんが? それとも魔法使いさんが?」
「さぁ。どっちがでしょう?」
 最後の最後ではぐらかされ、姫は可愛らしい頬をむくれさせる。
 テーブルの対面から手を伸ばし、その頬に触れる彼女。
「そんなむくれてると、可愛い顔が台無しさ」
 途端に低くなる声と、青い左の瞳。
 この二人は急に入れ替わるから心臓に悪いなと、密かに思う。
 もっとも、口に出せば――起きたときのように、彼の機嫌が悪くなるのは目に見えている。
「だって分からないんだもん」
「まだ分からなくていいよ」
「分からないとなんだかむずむずする」
「そうかい?」
 ノイズの混じった低い声で、魔法使いは笑った。
 わからなくていい。口の中で小さく呟く。
「――姫」
「何?」
「王子に、会いたいかい?」
 小さく小首をかしげる姫を、魔法使いはじっと見詰めた。
 少し諮詢してから、姫は笑う。
「ううん」
「何で」
「迎えに来てくれるから」
「……随分な自身だね」
「だって約束したもの」
 くすくすと笑い、姫はサラダ皿に手を伸ばす。
 相変わらずだと溜息をつき、魔法使いは見つめた。
 天窓を。
 その向こうの、真白い真昼の月を。
「ねぇ魔法使いさん、魔法使いさんも御飯食べない?」
「……ああ、いただくよ」
 小さく笑いながら答え、皿の中でも小さめなパンに手を伸ばした。

           あとがき。
             真昼まで月が残っていることは稀です。
             残っていたとしても太陽に飲まれ、薄くなってしまっていますが。
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