<壊れた時計>

 大きな時計塔がある、霧と煉瓦の街。
 月が中天に臨む真夜中に、銀髪の窓の外を眺めた。
 月明かりに照らされる、巨大な時計塔。
 この街の象徴であり、百年も前からこの街を見守ってきた母親。
 彼女が十一回時を告げる終えると同時に、薄暗い部屋の中に声が響いた。
 低い、それでも確かな少女の声。
「こんばんわ、シヴァエル」
 彼は振り返った。
 そこには少女の顔が在った。
 正確には、少女がいた。
 着ているのはレースに彩られたワンピース――最も、生地もレースも黒で統一されているが。
 それだけではない。
 首を彩るチョーカーも、胸部から腹部にかけてをきつく締め上げるコルセットも。
 スカートから覗く足を覆うタイツも、靴も、髪の色も、全て黒。
 だからこそ、その煉瓦色の瞳と白い肌だけが強調されて見えたのだ。
「こんばんわ、カーラ」
「今、暇?」
「夜は大抵。お客が来なければ」
「そう、よかったわ」
 小さく笑い、カーラと呼ばれた少女は扉を指差す。
「客よ」
 間を置かず、その扉が開いた。
 ちりん、と乾いた音がする。
 恐る恐る顔を覗かせたのは、飴色の髪と瞳を持った、二十歳くらいの女性だった。
 彼――シヴァエルとカーラの姿を視認し、やはり恐る恐るといった感じで口を開く。
「あの……【時計屋】は、こちらでしょうか?」
「ええ、ああ、お客様ですね。外は冷えるでしょう! さぁ、こちらへどうぞ」
 シヴァエルは立ち上がり大袈裟に手を広げ、女性を中に招き入れる。
 外は冷えているというのに、ノースリーブのワンピースを着た女性に寒がる様子はなかった。
 彼女に椅子を勧め、自身もテーブルを挟んだ向かいの席に腰掛ける。
 手を伸ばして蝋燭に明かりをつけるのと、その隣にカーラが座るのは同時。
「ようこそ、【時計屋】へ。こちらへはどなたのご紹介で?」
「え、あの……そちらの、方が……ここまで案内してくださいました」
「ああ成る程、承知いたしました。いえいえ、そんなに畏まらないでください!
 紹介が必要というわけではないのですよ。自ら此処に来られる方も、どなたかに連れて来られる方もおられます。
 そんなどなたも、私は拒みませんよ」
 その一言に、ようやく女性は安堵の溜息を付いた。
 そのまま、膝の上で指を組み合わせる。
 指や腕に付いた無数の古い傷に、シヴァエルはほぉと感嘆の声をあげた。
「お名前をお訊きしても?」
「デュルリー、と申します」
「どちらからいらしたのですか?」
「ホワイト・ウェイト地区の、ローズウェル・ハウスからですわ」
「ローズウェル・ハウス……最近旦那様がなくなったとか……ああ成る程、それでいらしたのですね」
 得心が言ったらしい店主に、デュルリーはこくりと頷く。
「それではお話ください。誰も耳を傾けない貴方の、彼との思い出を」
「………………彼と出会ったのは、もう、八十年前になります。彼は、六歳でした」
 長い沈黙の後、ぽつりぽつりとデュルリーは語り始めた。
 彼はやんちゃで、自分によく傷をつけたこと。
 それでも、週に一度は忘れずに体を拭いてくれたこと。
 花嫁を娶っても、子供が出来ても、孫が出来ても、それは忘れなかったこと。
 孫に、自分を『宝物だ』と紹介してくれたこと。
 短くなる蝋燭に照らされる中、そんな他愛も無い、それでも確かな思い出を。
 相槌を打つシヴァエルと、あくまで聞いているだけのカーラを前に、デュルリーは手を握り締める。
「でもっ……彼は……しっ……んで……」
 飴色の瞳から、ぽろぽろと涙が零れ落ちる。
 何かに納得するように頷き、シヴァエルは立ち上がった。
 その頬に手を沿え、柔らかく微笑む。
「彼は貴方を本当に大切にしていた――八十年が経った今でも、貴方はこんなにも美しい」
 照れくさそうに笑うデュルリーに、カーラは眉根を寄せる。
「……さぁ、もう時間です。彼が待っていますよ?」
 しゃくりあげながら笑うデュルリー。
 芯だけが残っている蝋燭の炎に照らされるその姿は、あまりにも儚く。
「お疲れ様でした。デュルリー・ハーロック」
 ふっと、蝋燭が消えた。

 青白い月明かりのみが残る部屋の中にいるのは、シヴァエルとカーラの二人だけだった。
 先程までいたデュルリーは、もういない。
 彼女の変わりに、椅子の上には壊れた卓上時計が残されていた。
 飴色の木で作られた、年代を感じさせる時計。
 ハーロック社の二十年製卓上時計。
 博物館に行けば見られるだろうが、現役で動いているものは数少ない。
 彼女は――その、一つだった。
 手を伸ばし、卓上時計を手に取るシヴァエル。
 背中には拙い文字でこう刻まれていた。
 DEYURURI――デュルリー、と。
「珍しいね。女性を君が連れてくるなんて」
「別に。ただ泣き声が煩かっただけよ――響いて、仕方ない」
「彼女にとっては命そのものだったのだろう。ああ――歯車が錆付いてしまっている」
 鮮やかな手つきで裏蓋を外し、中を検分したシヴァエルは笑う。
 塩辛い涙は金属の大敵だ。
「……それ、どうするの?」
「さぁ、どうしようか。このまま壊しても、新しく生まれ変わらせてもいい」
 咽の奥で笑うシヴァエルに、カーラは呆れたように溜息を付いた。
 そのまま、窓の向こうを見ながら呟く。
「私も、そうするの?」
「ん?」
「動かなくなったら、ばらばらにして、また、別のものにする?」
 上目遣いに訊ねる、煉瓦色。
 対する青年は、ただ笑って。
「しないよ」
「壊して、壊して、壊して、壊して、毀して、こわして、コワシテ、壊して」
「一緒に逝こう」
 その答えに安心したらしく、カーラは笑う。
 そうして窓の向こうに視線を走らせ、目を見開く。
「もう時間だ、行かなきゃ」
「お仕事、お疲れ様」
「今更よ。それに――ああもう! 時間が無いっ」
 そう言って、カーラは姿を消した。
 半瞬遅れて、鐘が一度だけ鳴った。
 日付が変わったことを告げる、時の音。
 【時計屋】の主人は視線を走らせ、時計塔を見る。
 煉瓦色の、グランドマザー。
 くつくつと笑い、シヴァエルは壁に貼った写真を見た。
 今と変わらない彼と、何人かの男達と、少し幼いカーラが写る、集合写真。
 その日付は、今から百年も前。
 仲間達は死に、今ではシヴァエルしか残っていない。
 【時計屋】の主人は、今日も笑う。
「さぁて……どうしようかな、デュルリー? 君は、何になりたい?」

 何時からか、時計塔と煉瓦の街に流れる噂があった。
 役目を終えた時計が、いつしか消えてしまうと。
 消えた時計は街の何処かにある【時計屋】で、最後を迎えるのだと。
 その噂の真偽を知るものは誰もいない。
 その噂の真偽を知るものは何もない。
 ただ二人。
 【時計屋】と、時計塔を覗いては。

           あとがき。
             ゴスロリが書けたので満足です。(ヲイ)
             人も、『壊れる』んでしょうかね?
BACK