大昔の人間は最悪の言葉を吐き捨てたものだ。 「獅子は自分の子を谷底に突き落とし、技量を試す」――と。 <グランドキャニオン> 空を見上げれば、切り取られた青がひどく恨めしく見えた。 赤褐色の硬い大地。 大昔は川が流れていた、その跡地に、少年が一人立っていた。 「……思いっきり突き落としてくれたものだな……」 ぽつりと呟いた声は、高い。 背もあまり高くない。 髪の毛の色も目の色も暗く、これといって特徴の無い少年だ。 だが。 その目には強い意志が宿っている。 「まぁ、そうじゃなければやりがいも無いが」 少年は自分の腕を擦り、折れていたり痛かったりしないかと確かめている。 その背後で、ぐるると低い鳴き声がした。 少年が感じたのは、殺気。 腰に差した短剣を抜き振り返れば――そこに立っていたのは青年だった。 長い黄金色の髪が、谷間を吹き抜ける風に揺れる。 漆黒の、黒目が何処にも見受けられない瞳が少年を映し、笑った。 「こんにちわ」 「こん……にちわ」 些か気を削がれながらも、少年は剣を降ろさない。 ここが谷底で、尚且つ滅多に人の訪れない王直轄地であることを考慮に入れれば――青年は不自然すぎた。 「誰だ? 私の知り合いにはない顔だ」 「人に名前を聞くときは、自分から名前を聞くのが礼儀じゃない?」 「……アイゼイヤ・レーガン・アルトゥール。お初にお目に掛かる」 「わざわざありがとう。名乗ってもらって何だけど、俺には名前がナイ。だから、好きに呼んで?」 にこり、と笑う青年。 その笑顔がとてつもなく邪悪なものに見えて――剣を握る掌が汗ばんだ。 どうして、が頭の中を駆け巡る。 深く息を吸い、言葉を選びながら――アイゼイヤは言葉を紡ぐ。 「……どうして、ここに? ここは王直轄地で、一般人の出入は禁止されているはずだが」 「それもそのまま返すよ」 「私は」 一瞬だけ、言葉に詰まる。 果たして自分がここに来た理由を、話していいものかと――諮詢する。 「……ロエヴェ王国第七十七代目コェイングディアティーレ、候補、だ」 青年が軽く目を細めるのが見えた。 コェイングディアティーレ――俗に獅子王と称される、ロエヴェ王国の王の名である。 ロエヴェ王国の古い風習で、獅子王となるものは男女問わず、この渓谷に下りなければならない。 そして、この場所に住まう古の獅子――ロエヴトを手懐けなければならないのだ。 そうしなければ、王とは認められない。 アイゼイヤも、獅子王候補の一人である。 「久しぶりだね、コェイングディアティーレ候補が来るなんて」 「……久しぶり?」 「前にもこんな空白はあったけど、最近は酷いね。前に候補生が来たのは、六十五代目だった」 「そんなに……」 アイゼイヤが目を見開いたのを見て、青年はくすりと笑った。 その笑いに気分を害しながらも、アイゼイヤは訊ねる。 「じゃあ貴殿は、何故それを知っているのだ?」 「――案内人、だから」 笑う金色の自称・案内人に、アイゼイヤは深く深く溜息をついた。 川だったときは支流だったらしい、小さな小道に案内人は消えていく。 アイゼイヤは必死にそのあとを追った。 彼と来たら、歩くペースが物凄く速いのだ。 そのくせ、アイゼイヤとの差が開きすぎると立ち止まって待つ。 少々自尊心の高い彼にとっては、少々屈辱だった。 「……七十六代目コェイングディアティーレは」 「は?」 「君しか、子供を残さなかったのかい?」 「……そうだ。それが、何か?」 「珍しいな、と思って。三十五代目のときは百人が一気に押し寄せてきたから」 「ああ」 得心がいき、アイゼイヤは笑う。 王というものは大抵、正室の他に側室を娶るものだ。 確認されているだけで子供が百人いたという、三十四代目コェイングディアティーレは異常であるが。 「父上は、母上を愛していた。側室は娶らなかった」 「そう」 「……でも、叔父上殿は違う。側室を十人も娶って――その中の八人を殺してしまった」 「そう」 はぁ、と俯き息を吐けば、暗い色の前髪が目に掛かった。 それは、母方の色素が強く出た結果である。 ロエヴェ王家は代々、金色の髪と緑の目を持つ一族である。 第一位・第二位王位継承者である従兄達もその色で。 もう一度、アイゼイヤははぁと溜息をついた。 「でも、その父上もここには来なかった」 「……何が言いたい」 返ってきた言葉に、自然と語気が荒くなる。 父親は賢かった。アイゼイヤが誇りに思うほどに。 体が弱いとのことで、この『試験』は受けずに王となったのだが―― 「古の盟約で、ロエヴトを手懐けなきゃこの国の王とは認められない。 つまるところ、六十七代目以降の――当然君の父上も――本来であれば、この国の王じゃないって」 「っ黙れ!!」 鞘に収めていた剣を抜く。 けれども、案内人は少しも動じなかった。 「何が分かる! こんな、古いだけの盟約っ……縛る方も縛られる方も馬鹿げている!! 第一、そんなことしなくたって父上は王だった!! 立派な王だった!!」 巨大な渓谷の中に、アイゼイヤの叫びが何度も何度も反響する。 対して、じゃあ、と呟く声は酷く静かだった。 「……君はどうしてここに来たんだい? アイゼイヤ・レーガン・アルトゥール。 この行為を古いだけの盟約だと言うのであれば、何故君は、それを受ける?」 問われ、言葉に詰まる。 それは、アイゼイヤの『色』が関係していた。 本来であれば、王位継承権は第一位。 けれども『王家は金髪緑眼、それ以外の色は、今まで一度たりともでなかった』、と。 彼の色に難癖をつけた叔父が――自分の息子二人を、上位王位継承者にしたてた。 彼が殺した八人の側室は、いづれも跡継ぎとなる男子を埋めなかったものばかり。 同じ理由で、彼は正室さえも殺してしまった。 「私は」 風が言葉を浚う。 「私は」 小さく、腕が震えた。 「王に、ならなければならないから」 そう告げた瞬間、青年の唇が三日月形に歪んだ。 ぞわり、と体中の気が逆立つ。 咄嗟に剣を水平にするのと、その刃先が鋭い爪を受け止めるのは同時だった。 勢いと重さに押され、数歩後ずさり――背中が、硬い岩壁に当る。 目の前にいるのは、見事なまでの獅子だった。 大人二人分の高さと、五人分の幅を持った巨大な獅子。 漆黒の瞳に、焦りを浮かべるアイゼイヤが見えた。 噂に、夜伽話で聞いた、この国を守る伝説の獅子・ロエヴト。 何の確証があったわけではないが、アイゼイヤはそう思った。 これが、伝説の。 ぎち、ぎちと剣と爪が音を立てる。 低い唸り声を零しながら、ロエヴトはかっと口を開いた。 その中で蠢く紅い舌と、真っ白い牙。 アイゼイヤなど一口で食べてしまえそうだった。 恐怖に崩れ落ちそうになる膝を、必死に叱責して直立する。 『汝は』 不意に、声が聞こえた。 唸り声と同じトーンで紡がれたそれは――目の前の巨大な獅子が発したように、アイゼイヤは思った。 『何故に王になりたいと願う』 ぐ、と腕を押され、肘が岸壁についた。 『このような谷底に突き落とされて、我と対峙して、尚、何故に王を望む。 恐怖に震えているのだろう? 今ここで王位継承権を放棄すれば、命だけは助かるぞ?』 くく、という笑いを含んだトーン。 奥歯がなりそうになるのを必死に抑えながら、アイゼイヤは真っ直ぐにライオンを見据える。 「そりゃ……怖い。今も、落とされたときも」 『ほう』 「でも、私は王にならなければならない」 水平に構えた剣、それを支える腕にぐっと力を込める。 ぎちり……と、一際大きく音がなった。 「乳飲み子が死んでいく、その母親が狂っていく! 隣人が隣人を殺しあう、上級階級は賄賂のことばかり考えてる!! この国の現状はそれ、昔の面影なんて何処にも無いッ!!」 肘が、岩壁から離れる。 一歩を踏み出し、アイゼイヤは、叫ぶ。 「それでも王族は何もしないっ! ただただ、自分の享楽ばかりを考えている!! 第一位王位継承者も、第二位王位継承者も、ただただ女を侍らせて!!」 ロエヴトの体が、少しだけ後ろに下がった。 『だから自分が、コェイングディアティーレになるというのか』 「っ……そうだ」 『今までの王のように、この試練を受けずとも『王』にはなれるぞ?』 「それでは……意味がない……私の王位継承権は第三位だからっ。 貴殿を従え、王宮に戻り――コェイングディアティーレなるっ!!」 『それが』 静かな声が、反響することなく言う。 『人であることを、やめると知っていても、か?』 谷間に、風が吹いた。 それが、アイゼイヤの黒い髪を揺らす。 「何……だと?」 『王とは人ではない。人であってはならない。記号であり道具であり制度であり道でなければならない。 国民の命を、一挙その背に背負わねばならない。それでも、汝は』 「なる!!」 反響する声は、涙交じりだった。 「なると決めた! 記号だろうが道具だろうが、何だっていい!! 子供が、安心して笑える国にしたいんだっ!! 死に脅えなくて良いような、そんな、そんな平和な国に!」 それでもアイゼイヤは、巨大な獅子を見据えていた。 「この国を、私が、守るんだッ!!」 獅子の双眸が細められ、剣にかかる力が強くなった。 アイゼイヤの細腕ではその力を受け止めきれず、剣が弾かれる。 円弧を描き、それは向かい側の岸壁に突き刺さった。 ロエヴトは数歩下がり、一直線にアイゼイヤに近付いてくる。 かっと、紅い口腔が開かれる。 それに食まれた時の痛みを想像して、アイゼイヤは反射的に目を瞑った。 しかし。 「っ――?」 予想に反して、激痛は襲ってこない。 それどころか――額に、何か暖かいものが触れた。 恐る恐る目を開き、顔を上げる。 漆黒がこちらを覗きこんでいる。 暖かい何かは、どうやら相手の額のようだった。 いつの間にか姿を消していた、金髪の案内人が岩肌にアイゼイヤを縫い付ける形で立っていた。 「ごーかくっ」 「……は?」 「いやだから合格だって。オメデトウ」 にへら、と笑う青年を、アイゼイヤは理解できないといったように見上げる。 そして見た。 その金色の髪に隠れて、二つの獣の――例えるなら獅子の様な耳が生えているのを。 同様にして、獅子の様な尾が生えているのを。 「俺が、ロエヴトが君をコェイングディアティーレと認めた。だから君は今日から、この国の王だ」 「……どういうことだ。先程、貴殿は自分から『案内人』と名乗ったではないか」 些か不機嫌になった声に、青年は笑ったまま。 「案内人だよ。俺が認めなければ、候補は地獄行き。認めれば、王。 冥土か、栄光か――どちらにしても、導くのは俺だ」 「名もないと」 「ロエヴトなんて種族の名前さ。今はもう俺しかないけどね。 アイゼイヤ・レーガン・アルトゥール……今日からは、アイゼイヤ・レーガン・アルトゥール=ロエヴェだね」 名の後ろについた、国の名前。 その響きに、アイゼイヤの心臓はどくりと高鳴った。 「人を辞めたヒトの子に、幸多かれ」 「……何故、認めた。私は貴殿を屈服させることが出来なかったのに」 「誰も屈服させろなんて言ってないよ。俺は『手懐けてみろ』って言っただけ。 君の言うことはまだまだ理想論だ。それだけじゃ誰かを救うことは出来ない、だからね」 にぃ、と唇を三日月に吊り上げ、青年――古の獅子は笑う。 「俺は、力を貸そうと思った。アイゼイヤ・レーガン・アルトゥールに」 そのまま、静かに跪く。 「貴方に、忠誠を誓う」 青年の、金の長い髪が風に揺れる。 たてがみのようだと、アイゼイヤは思った。 「……ありがとう」 「どういたしまして。それではアイゼイヤ――俺に、名前を。君だけが呼ぶことを許される名前を、つけて?」 それは所有権の明示なのだと、青年は言った。 コェイングディアティーレが彼に名をつけることで、主従関係は成立すると。 ロエヴトはそれ以外の人間には、決して懐かない。 だから、と笑う青年に、諮詢すること数秒。 「レナード」 響いた単語に、青年は笑った。 今までのどれとも違う、嬉しそうな笑み。 「コェイングディアティーレ、アイゼイヤ・レーガン・アルトゥール=ロエヴェ。どうぞ、よろしく」 「それは、此方の台詞だ……至らないところもあるが、力を貸してくれ、レナード」 巨大な渓谷に切り取られた空は、見事なまでの晴天。 この日、一人の王が生まれた。 大陸を平定し、後々までその名を知られる『獅子王』が。 |
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あとがき。 カタカナばかりで読みにくいことこの上ないですが、結構気に入ってます。 珍しくファンタジー。 |
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