さぁ、お前はどんな軌跡を残す?
 泥に塗れたこの世界に、どんな跡を残す?
 その様を私に見せてくれ。

<轍>

 男が一人、死んでいた。
 ずるずると這いつくばってきたらしく、ぬかるんだ道にその跡が残っていた。
 そこには紅が、べっとりと残っていた。
 男は顔を引き攣らせていた。
 男が一人、死んでいた。
 その前に、少年が一人、へたり込んでいた。
 白く長い髪に、白い肌。
 更に白い着物を纏ったその姿は、夜の闇の中、ぼんやりと浮き上がっている。
 赤い目には脅えが色濃く出ていた。
 背中を壁に預け、かたかたと震える少年。
 裸足の足は、泥で汚れている。
 数歩分だけ、泥の上に少年の足跡が残っていた。
「好久」
 びくり、と少年の肩が跳ねた。
 背後から聞こえてきた声に、驚いた。
 背中にあるのは、壁。
 けれども声は確かに、背後から響いていた。
 ふっと頭の上に落ちた影に、顔を上げる。
 色違いの双眸を持つ少女が、彼を覗き込んでいた。
「っ――」
 上げかけた悲鳴を、口を手で覆うことで抑える。
「お前が、そうか」
 脅えた少年を気にすることなく、少女はずるずると壁の中から現れた。
 一回転し、少年の前に着地する。
 ぐちゃり、と泥が跳ねる。
 少年とは対照的に、少女は黒い服を着ていた。
 髪の色も黒。
 だからこそ、肌の色と、紅と濃紺という双眸は浮き上がって見えた。
「お前が、そうなんだな」
 少女は唇を吊り上げ、笑う。
 震える少年は、その動作に口元から手を放した。
「……誰だ、アンタ」
「誰だ、か……ヒトと言うものは名前で互いを認識するんだったな。
 だがまだ名乗れない。貴様と同じ、忌むべき者だ」
 貴様でもアンタでも好きに呼べ、と少女は言う。
「俺と? アンタ、俺のこと知ってるのか?」
「当然だ。あの男に貴様の奪取を命じたのは私だぞ?」
「アンタの、知り合いなのか……?」
 視線を少女から男に向け、「何で」と小さく呟く。
 男の脇腹には、ぽっかりと空虚が口を開けている。
 追っ手が抉ったそこからは、鮮やかな内臓が覗いていた。
 男は、少年を白い建物の中から連れ出した。
 だから死んだ。
「何で……俺を?」
「最初に言ったはずだが? 貴様は私と同じ忌むべき者だ。
 アルビノで能力者……いや、アルビノだからこそ能力者になったのか? まあいい。
 貴様は能力者だ。だからこそ、特保に捕らえられた。だがそれは惜しい。だから助け出した」
「な……」
 淡々と、少女は言う。
 紅と濃紺の瞳を、これでもかと歪ませて。
 少年はがり、と爪を地面に食い込ませた。
 それは少年にとって、傷を抉る言葉でしかなかった。
 母親が何度も呟いた『バケモノ』。
 繰り返される人体実験。
 日光は敵で無くなったとしても、人は未だ。
「っアンタ、一体……」
「気になるのか?」
 言っただろうが。それ以上は、今は教えてやるつもりはない。
 そう言って、少女は笑う。
 それから這いつくばったままの男を睥睨し、小さく鼻を鳴らした。
 そこに、哀惜も憐憫も無い。
 男が一人、死んでいた。
 それを馬鹿にするような少女。
「……その人」
「これか?」
 少女は男の頭に足をかけた。
 道がぬかるんでいるために、彼の漆黒の髪の毛に泥がついた。
「何で、俺、助けたの?」
「既に答えた。私が命令したから、その理由でだ」
「でも、死んだ」
「ああそうだ。半分失敗したからな」
「……なんで?」
「理解できないのか?」
「わかんねぇよ……」
 少年は視線を落とし、男を――正確には、男が這いつくばってきた後を見る。
 追っ手に対し、男は少年を一度、この路地の奥に隠した。
 しばらく、何かを言い合う音がして――響いてきたのは、何が這いつくばる音。
 そうして男はやってきたのだ。
 脇腹から内臓をはみ出させて、苦痛の表情を浮かべながら。
 少年に対して「逃げろ」と、そう言って、死んだ。
「わかんねぇ……だってこの人、なんで、こうやって這いつくばったんだよ?
 俺置いて逃げればよかったのに……なんで」
「…………ああ、そうか」
 少女はゆっくり、少年に近付く。
 しゃがみ込み、色違いの双眸で少年の赤を眺める。
「理解できないんだな。お前は、まだ」
「え……?」
 哀れみさえ含んだ口調に、少年は思わず目を見開いた。
「お前は自分が『忌み嫌われている』ことを知っている。自分で『バケモノ』と思っているからな。
 だが、お前は『自分が生きていること』を無意識のうちに認めている。
 それは、能力者にとって最大の強みだ」
「どうして……?」
「……能力者は人間じゃないと、言われ続けてる。『自分が生きていること』に価値さえ見れない。
 だから、与えられる価値に縋る。それが命令で、死ぬと分かっていたとしても、だ」
 少年はじっと、少女の瞳を眺めている。
 少女は目を細め、一瞬別の表情を浮かべてから、笑った。
「見ろ――あの奴が這いつくばって来た轍を。あれが、奴の意味だ」
「あんなのが」
「あんなのとは失礼だな。皆這いつくばって生きているんだ」
「みんな……?」
「ああ。私も泥を食んで生きている。奴もそうだった。しかし、奴も私も後悔はしていない」
 少女は音も無く立ち上がり、少年から離れた。
 少年は呆然と、その背中を見上げる。
 十歩歩いてから少女は振り返った。
 少年によく似た、紅が少年を見る。
「さぁ、選べ」
 紅が三日月に歪む。
「ここに残って特保の実験材料となるか、私と来て闇を歩くか。
 さぁ、お前はどちらが良い? 私が満足するような答えを寄越せ――アルビノ」
「俺は――」
 少年は言葉を濁す。
 少女は腕を組み、少年の答えを待つ。
 その背中に、ぬらりと人影が現れたのは次の瞬間だった。
 少女は気付いていないようだった。
 その人影は、少年を捉えようとしていた人間達と同じ。
 特保のエージェントであり、同胞たる『能力者』だった。
 その人間は、すっと腕を振り上げる。
 そこにあるのはナイフ。
 幾ら能力者とは言え、頚動脈を切られれば確実に死ぬ。
 少年は立ち上がる。
 泥の飛沫を撒き散らしながら走り、少女の傍まで来て――それを、開放した。
 ごぉ、と大きな音を立てて風が吹き荒れる。
 べしゃり、と何かが飛び散る音がした。
 真っ赤なペイントが、少女の後ろの壁に出来ていた。
 少女はそれを無感情な目で眺め、それから少年を見た。
 少年は、呆然としていた。
「……俺は、外に、出たい」
 肩で息をしながら、彼は呟く。
 少女は笑った。
 純粋に、楽しそうに、嬉しそうに――しかし、酷く歪んだ形の笑みで。
「さぁ、見てみろ」
 そう言って、少年の背後を指差す。
 ゆっくりと振り返った先には、八歩分の裸足の足跡。
「囚われの身だった貴様が、初めて這いつくばって出来た『轍』だ。
 貴様は自分で選んだのだ、『人』ならざる『モノ』になることを!」
 高らかに少女は言う。
「我等は貴様を歓迎しよう。神に祝福された欠落因子。
 己の足で歩き、その体で這いつくばって、この神無き世界に跡を残せ」
 嘲笑とも取れる笑みを伴って。
 高らかに高らかに――まるで何かに宣言するかのように。
「……さぁ行くぞ泰山府君。特保にはもう嗅ぎ付けられているようだからな」
「特保って、アンタ、さっきの知って……?」
「当然だ。貴様に選択を迫る為に、あの男は十分な意味を果たした。あれが男の『轍』だな」
 そう言って少女は、赤いペイントを指差した。
 赤い赤い――生の証。
「さぁ、泰山府君。行こうじゃないか」
「……泰山府君って、なんだよ」
「貴様の名だ。アルビノでは不便でな」
「意味は?」
「聞きたいか?」
「知りたい」
「『死神』だ」
 私の駒たる貴様に相応しい名前だ。
 そう言う少女は、優しく少年の手を握る。
 初めての行為に、少年は赤い目をただ見開いた。
「……嫌なら、別の名前を考えるが?」
「嫌……じゃない」
「そうか」
 少年の手を引いて、少女は歩き始める。
 自分より少しだけ高い頭を見上げて、少年は再び問う。
「アンタの、名前……まだ、教えてもらってない気がする」
「ああ、そうだったな……知りたいか?」
「……聞きたい」
「海神だ」
 短く言った声は、突如吹いた風に運ばれる。
 二人の男が死んでいる路地に、子供達の姿は何処にもなかった。

           あとがき。
             前回ファンタジー書いた反動でしょうか。今回イヤに理屈っぽい話です。
             こういう理屈捏ね回す話が好きなんですけど、読み手の方はどうなんでしょう?
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