そうして、それは伝染する。 <でんせん 〜伝染〜> 街には死の匂いが漂っていた。 嗅覚を刺激するそれに、カイは無言で眉をひそめた。 黒の礼服と、黒い、癖の強い髪。 唯一黒ではないのは、その青い双眸だが、今は黒いサングラスの向こうに隠れてしまっている。 彼の容貌は、路地裏ではなく煌びやかな部屋の方が相応しいだろう。 斜陽が彼を照らし、彼の影を長く伸ばし――建物の影の中へと招き入れていた。 『でんせんびょう』 脳裏に響いた声に、カイはますます眉をひそめた。 『……それが、死臭の元か?』 声には出さず、その声の主――建物の影に潜んだ『影』に声をかける。 『でんせんびょう、ひとがしぬ、えさ、いっぱい、どうほう、みな、そっちにいった』 建物の『影』はそう言う。 どうりで西側に気配が多いはずだと、カイは納得する。 彼が今会話をしているのは、人を主食とする『影』という存在だ。 人の形はしているものの、カイもまたそれと同じ存在である。 『ひと、くう。おうは、たべてない。なぜ?』 『……食うなと、言われた』 『なぜ、それに従う』 『それは』 答える前に、『影』は悲鳴を上げて逃げていった。 それと入れ違うように、一人の青年がカイに近寄ってくる。 黒髪と、同色の目。 鼻先にひっかけた眼鏡が、何処と無く頼りない印象を彼に与えている。 「おまたせ、カイ」 「……影食い、か」 「うぇ?」 素っ頓狂な声をあげる青年に、カイは胡乱気な視線を向けた。 幼馴染であり――自分を殺せる存在の青年を。 「何でもない。遅ぇんだよ、リュウ」 「うー……ごめん。でも、その分いろいろ話聞いてきたから」 「伝染病の話なら、もう知ってるからな」 それきり会話は途絶えてしまった。 俯くリュウが鬱陶しくて、カイは溜息と共に言葉を吐き出す。 「……死に行く街に、興味は無い。ついでに、お前がそれに感染しても厄介だ。 だからさっさと、この街を出てくぞ」 「……何か、しなくていいかな」 「何かって?」 「だからさ、援助とか、そんなの。このまま放っておけないよ」 「何処まで偽善者なんだお前は……世界中に、似たような状況にある街が幾つあると思っている? それらの全てが救えると? その為に自分の命を投げ出すと? 大した偽善者っぷりだな。 それに、俺達に何が出来る? 『影』の俺と、『影食い』のお前。どっちにしても破壊しか生み出さない」 まくしたてれば、『影食い』の青年は完全に黙ってしまった。 『影食い』とは、『影』専門の退治屋のことを指す。 彼はその末裔で、微々たる物ながら力があるらしい。 カイが半ば強制的に、彼との約束を守って『絶食』しているのも、その辺りに原因があった。 「鬱陶しい。お前の偽善には付き合ってられない。わかるな? 期限はあと一年だ」 リュウは何かを言いかけ、口を紡ぐ。 目尻に涙が浮かんだ幼馴染に、カイは軽蔑するような視線を向けた。 くるりと踵を返し、大通りへと足を向ける。 気配でリュウがそれについてきたことを悟り、はぁと小さく溜息をついた。 このお人よしにつける薬はないだろうかと、半ば本気で考える。 路地裏を抜けて大通りにでる。 左胸を銃弾が貫いたのは次の瞬間だった。 「っ――」 「カイッ!?」 咄嗟のことに崩れ落ちるカイを、後ろから駆け寄ってきたリュウが支える。 彼が抑えた左胸からは、ぼたぼたと赤黒い液体があふれ出ていた。 何が起きたのだろうと周りを見渡せば、そこはなんとも不思議な光景が広がっていた。 自分達が出てきた路地を中心に、ぽっかり半円が出来上がっている。 距離を置き、遠巻きに眺める人々。 その最前列には、装甲服を身に纏い、大口径の銃を構える男達。 その場にいる全ての人間が、敵意を此方に向けていた。 「この……あほゥ……つけられたな……」 息も絶え絶えにカイが言う。 けれどもその声は、リュウの耳には届いていなかった。 あのひと、おなじ。 頭の中で、誰かが呟いた。 あの日も確か同じだった。 あの日もカイが撃たれたんだ。 そして、あの日。 「リュウ・サイキだな」 装甲服を着込んだ男の中でも、一番偉そうな男が言った。 それは訊ねているのではなく、確認する口調。 彼が呟いた名前は、さざなみのように、人々に伝染した。 リュウ・サイキ。 六年前――サン=テルヴェルミの大虐殺を起こしたと言われる、重要指名手配犯。 当時人口五万人の小都市・サン=テルヴェルミ。 六年前、たった一人を除いた全員が『虐殺』された。 後に残っていたのは、血飛沫と人間のカケラ。 当時十二歳の彼だけが生き残り、それは彼が犯人だったからだと――公式には、そうなっている。 「中央政府の名の元に、貴様を確保する。抵抗した場合は、発砲する!」 微かに震える声でそう言い、男は部下に合図をする。 銃を構えたまま、装甲服はリュウに近付いてきた。 リュウはそれを、ぼんやり眺めていた。 耳に届くのは男の声ではなく、人々の悪意に満ちた囁き。 じわりとその目に涙が浮かび、唇が無意識の内に言葉を紡ぎ始める。 六年間、何度も何度も紡いだ言葉。 「……ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」 段々と近付いてくる男達。 その手がリュウに伸ばされ、触れる寸前。 彼等は、消えた。 唖然とする人々の目の前で、カイはゆっくり立ち上がる。 ざわざわと、ざわめきが伝染する。 かつんと音を立てて、サングラスが地面に落ちた。 その下から除いた青の双眸で、カイは辺りを見回す。 胸から滴り落ちる液体は、いつのまにか漆黒の液体に変わっていて。 ぴちゃん、と音を立てて、それに水溜りを作っていく。 「……人は影に食(は)まれ」 色を失った唇から紡がれたのは、低い、底冷えのするような声だった。 「影は化物に食まれ、化物は人に殺される」 リュウは、ネジの切れた薇玩具のようにカイを見上げる。 その頬をゆっくりと、涙が伝い落ちていく。 「揺るぐことの無い世界の連鎖」 一歩を踏み出せば、リュウを除く全員が一歩下がった。 「されど化物は人を食み、影は化物を食らい、君臨するは……影の王。 逆転し、それでも尚終わらない連鎖……嗚呼何と愚かな事か」 カイは左胸を押さえていた手で、顔を覆う。 堰き止められていた漆黒の液体が、どろりと流れ落ちる。 顔に、べっとりと、その粘性の黒い液体がこびりつく。 溢れたのは、嘲笑だった。 呼応するように、その場にある全ての『影』がざわめいた。 「それは人が持ち得る最大の特徴、俺は持ちえぬもの、人に伝染するもの、故に人を陥れるもの。 貴様等は貴様等を守る存在を食み、食われるのだ、この俺に!」 はははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは! 哄笑と共に、カイの足元に出来上がっていた黒い液体が四方八方へと、動き始めた。 それは、まるで意思を持った影のようだった。 触れた途端、触れた人間は消えていく。 少し遅れて、絶叫が上がった。 「愚かさが伝染するように、恐怖も伝染する。慄け、叫べ、最後の一瞬まで恐怖に苛まれろ! それでこそ喰らう価値があると言うものだ!!」 狂ったように笑いながら、カイは両手を広げる。 子供を庇った母親が、子供と共に食われていく。 我先にと老婆を突き飛ばした若者が、苦痛の表情を浮かべて食われていく。 命乞いも罵声も、全て飲み込んで。 『影の王』の食事風景は、あまりにも凄惨だった。 へたりこんでそれを眺めていたリュウは、頭を振る。 そうして立ち上がり、後ろからカイにしがみついた。 左胸から流れる黒い液体を押さえ、この惨状を止めようとする。 「……リュウ、何してやがる」 「カイっ……人食べないって、約束っ……僕と、約束したじゃんかっ」 「この状況でも、お前はそんなこと言うのかぁ?」 「やだっ……もう、もう人が死ぬところ、見たくないんだよ!! 頼む、頼む、もうやめてっ……カイネヴァ・ヴィルヘルム・ツェーザル・グレゴリーウス!!」 リュウは泣きながら懇願する。 けれども、カイ――『影の王』はその端正な顔に不機嫌を乗せただけだった。 ぐるり、と首から上だけが百八十度回転する。 「リュウ」 ひっと、リュウの喉がなった。 半瞬遅れて体がそれに付随し、ぐっとリュウの喉を締め上げる。 「勘違いしてんじゃねぇぞ、このアホゥ」 「くっ……」 「俺がお前との約束を守ってやってんのはなぁ、お前の為じゃねぇんだよ。お前の中にいるユーリの為なんだよ」 その名前が出た途端、リュウは漆黒の瞳を真ん丸く見開いた。 「俺がお前と約束したのは、お前の中のユーリと約束したから。 俺がお前と一緒にいるのは、お前が食っちまったユーリを取り戻すため。 俺がお前を守ってやるのは、お前が死んだらユーリも死んじまうから」 「ごめっ……カイ、ごめんっ……」 「謝って済む問題かよ? あぁ? お前は俺から聖域を奪った。俺から全てを奪った。 だから俺はお前から全部奪ってやる。 奪って奪って、お前からユーリ引き剥がして、絶望の内に食ってやる」 黒い液体は街を埋め尽くし、人々を喰らっていく。 惨状の中、もはやリュウの目には目の前の糾弾者しか映っていなかった。 「ごめん……なさいっ……」 「世界の人間がお前を許したって、俺はお前を許しやしねぇ。 俺に食われるその日まで、お前は精々生き延びろ」 その宣告に、リュウは目を閉じた。 その拍子に、涙が一筋、頬を伝った。 サン=テルヴェルミの大虐殺で、確かに生き残った『人間』は一人だった。 けれども彼の他に、生き残ったイキモノは居たのだ。 それが、カイネヴァ・ヴィルヘルム・ツェーザル・グレゴリーウスという名の『影の王』。 その日、カイは、リュウともう一人の幼馴染の目の前で撃たれた。 『影の王』たる彼は人間の敵で、彼を撃ったのはリュウの父親だった。 殺されても仕方が無いと、カイはその時覚悟を決めた。 聖域の少女に抱かれて死んでいけるなら、それも本望と。 けれども、それは叶わなかった。 大した力を持っていない、出来損ないの『影食い』は、その力を暴走させた。 方向性も持たないその力は、四万九千九百九十八人の体を引き裂き、そして。 『影の王』を抱きしめていた、ユーリという名の少女を、その内に取り込んだのだ。 その日、連鎖は逆転した。 正式には語られない、サン=テルヴェルミの大虐殺の真相が、それである。 一人の『影食い』と一体の『影の王』、それ以外は誰も居なくなった街。 そこにはもう、死臭は漂っていなかった。 泣きじゃくる幼馴染の『影食い』を、『影の王』は無感情に見下ろす。 じゅるじゅると音を立て、その左胸、そこに開いた穴に黒い液体が収まっていく。 先程に比べて、カイの血色は明らかによくなっていた。 「リュウ」 地面に落ちたサングラスを拾い上げ、彼は言う。 「泣くな」 座り込んで泣きじゃくるリュウの胸倉を掴みあげ、無理矢理立たせる。 空の青にもよく似た瞳を黒の奥に隠して、もう一度「泣くな」と言う。 「『食べたく』なるだろ……今はまだその時期じゃねぇんだよ」 「っ……や、やくそくっ……僕とじゃ、なくて……いいからっ…… 約束してよっ……もう、人、食べないって」 それは、カイが人を食べる度に繰り返される約束だった。 叶わぬことは身を持って知っていても、それでもリュウはそれを繰り返す。 まるで贖罪だ、とカイは思う。 全ての人を救おうとすることで、自分が手にかけてしまった四万九千九百九十八人に贖おうとしているのか。 彼は自分の罪の重さを知っている。 責められることを望んでいる。 故に、カイは彼を責める。 糾弾者であり、断罪者なのだ。 人を殺したことは、カイにとって些細なことではない。 牛や豚を殺すことを、咎める人間が居ないのと同じように。 ただ、カイにとっての『リュウの罪』は、『聖域と同化したこと』。 たったそれだけだ。 故に、カイは彼を責める。 それが、リュウを救う。 嗚咽をバックミュージックに、『影の王』は空を仰いだ。 空は酷く高く青くて、いたちごっこを繰り返す愚かな自分達を嘲っているようだった。 |
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あとがき。 ……お題にあってない気がありありとしてます。 恐怖も、愚かさも、人を媒体として伝染するもだと思います。。 |
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