その獣の名は。 <666> 獣の王、と彼は呼ばれていた。 実際、彼の傍には常に血生臭い風が吹いていた。 『はー……思ってたのよりもデケェわ。驚いた』 黒い髪と黒い目に――褐色の肌。 それまでのどの王とも違う色だったのを覚えている。 『何? 王? ……悪いけど俺、そんなのになりたくて来たワケじゃねーんだよなぁ。 死にたかったんだけど……他の奴等、皆死んじまったし』 背中に<666>の刻印をされた、異民族の血の混じる青年。 ケダモノのアカシ。 記憶の底からそれを引っ張り出して訪ねれば、青年はまた笑った。 『そう。先代に征服された種族はケダモノらしいからねぇ。その血が混じる俺もケダモノ。 まぁ、年端も行かない酋長の娘を犯して孕ませた先代王の方がよっぽどケダモノだけど』 巨大な刀を担ぎ、笑う青年。 どうして彼を選んだのか、今となっては思い出せない。 それほどまでに昔の出来事。 彼は王となり――そこそこに良い治世を行った。 戦う彼はまさに一匹の獣であった。 けれども、彼は民に裏切られた。 信じた家臣に、捕らえられた。 理由は――『異民族の血が混じっているから』。 『あはは、情け無いよなぁ』 牙を折られた獣は、哀れなほどに惨めだ。 『……ごめんなぁ、レオナルドゥス』 手錠を嵌められた褐色の手で、彼は頭を撫でてきた。 『うん、ごめん。折角認めてくれたのにさ ……思えばアンタが初めてだったよ。俺のことと認めてくれたの』 牙を失った獣は、諦めきった目をしていた。 『……ごめんなぁ。またアンタのこと一人にするよ。次の王はもっといいの見つけろよ? 俺みたいなのじゃなくて、もっと賢くて、長生きしそうなの』 鼻を寄せれば彼は笑った。 『レオナルドゥス』 彼は最後まで王で在ろうとした。 『……喰ってよ。そういう約束だろ? どーせ、その内斬首刑になるんだからさ……だったらアンタに殺されたいさ。 ロエヴトは王を生み、また王を終わらせる……アンタに喰われれば、俺、最後まで『オウサマ』だから』 悲しげな笑みを浮かべた彼に、自分は何と答えただろう? もう、思い出せないほどの時間が経ってしまった。 何より怖いのは、その記憶が風化していくことよりも、彼の名前を思い出せないことよりも―― 彼の血肉が驚くほど甘く、酔った自分。 「レナー……ド?」 心配そうに覗き込む少年の顔が何を意味するのか。 それを理解するまでに、数秒。 「……大丈夫、か?」 その言葉を理解するまでに数秒。 柄にもなく、息が荒くなっているのが分かる。 赤い赤い血。 あれ以来、盟約に『最後さえ与える』という一文を削除したのだ。 「レナード?」 『……何でもない……気にするなアイゼイヤ』 唸り声と共に言葉を吐き出しても、年若い王は納得しない。 どくどくと、耳障りな程に心臓が音を立てている。 人を食べたのはアレが初めてではない。 選ばれなかった人間を、幾度も幾度も食べてきた。 けれども――何故(なにゆえ)王はあれほど甘いのか。 「……うなされてた」 『ああ……起こしてしまったようだな。気にするな。 明日は早いのだろう? さぁ、もう寝ろ……コェイングディアティーレ』 そう言えば、少年王――アイゼイヤはぎゅっと唇を噛み締める。 そのまま寝台に戻ることはなく、その脇に横たわる私の首に手を回してきた。 頭を抱こうとしているのだろう。しかし、それは叶わない。 何度か挑戦し――無理だということを悟ったのか、首のたてがみに顔を押し付けてきた。 『……アイゼイヤ?』 「……心臓の音が、いつもより早い……」 ぽつりと呟かれた言葉に、見上げてくる黒い瞳に、まいったと思う。 年端も行かない癖に、こういったことには本当に鋭い。 鼻を背中に寄せて目を閉じる。 今更のように『彼』の夢を見たのは――きっと、この少年も黒髪だから。 『……昔の夢を、見たのだ』 「どんなと、聞いてもかまわない?」 『ああ……何、昔の記憶だ。この国がまだ小さく他民族の侵略に脅えていた頃のことを、思い出した。 昔……『混血王』と呼ばれた王がいたのを知っているか?』 「ああ。五代目だろう? 四代目と、異民族の姫の間に生まれた王」 『そうだ。よく知っているな』 褒めれば、少年の口元が緩む。 その言葉に、ああ彼は五代目だったのかとぼんやり思った。 『彼は中々に良い王だった……だが、異民族の血が混じっていることを理由に大臣に捕らえられたよ。 ……そして、我が喰ろうた』 「……食べ、た?」 信じられないというようにアイゼイヤが顔を上げる。 黒の双眸に頷けば、「どういうこと?」という視線を向けてくる。 『昔は、我は王を選ぶだけではなく――王の終わりも運んでいたのだ。 王を喰らい、もう一度あの渓谷に戻り、次の王を選定する』 はぁ、と無意識の内に溜息が出た。 『我は五代目も喰ろうた。だが、それ以来、王に終わりは運んでいない』 「……何故?」 『……怖くなったのだ』 目を閉じ、意識を集中させて――本来の姿から人の姿を取る。 アイゼイヤは驚いたようだったが、構わずその体を抱きしめた。 手も足も、彼と同じように人の形を取れる。 けれども――私の本性は獣のままだ。 人を美味いと、そう感じてしまうのだ。 ケダモノ。 彼が酷く甘かったのは、ある意味で彼と私は同じものだったからかもしれない。 「……すごく甘かった。五代目を食べた時、甘くて甘くて。 それまでそんなことなかったのにさ……怖くなったんだよ。自分がただの獣のような気がして」 「レナード……?」 「アイゼイヤ、知ってる? ロエヴトが減っていった理由」 「……知らない。ただ、昔は沢山いたと。故に、この国は彼等の名前を冠するのだと」 「そう……減って、俺だけになった理由。皆ただの獣に成り下がったのさ。 人語を解さず、また喋らずに、他を殺し喰い散らかして ――ロエヴトと他の獣の違いは、人語を解すか否かだというのに」 「……そんな、ことが……」 「怖かったんだよ。本当に……俺は他の奴等と違うって、思ってた。俺はロエヴトだって。 なのにさ、甘くて……アイツの名前も覚えてないのに、味はこんなに鮮明に覚えているなんて!」 「……レナード」 背中に腕がまわされた。 宥めるように上下に撫でる、掌は小さい。 小さいのに――この上なく安堵するのは何故だろう。 「大丈夫」 たったその一言に、安堵するのは何故だろう。 「レナードはただの獣じゃない。私を支えてくれる、この国の象徴だ。 そのことを誇っていいよ……現に、私はレナードを尊敬する。至らない私を支えてくれる、私の相棒だ」 「……ゃ」 「レナードはそうならない」 金色の髪を、幼い掌がかき混ぜていく。 この幼いだけの、鼻っ柱が強い子供に救われるなんて。 今まで生きてきて、考えもつかなかったことだ。 「私は、レナードがそのことを話してくれて嬉しいよ。 不安な時は、ちゃんと話が聞けるから……頑張っていこう? レナード」 腕の中の小さな『人』を、壊れないように抱きしめる。 『次の王はもっといいの見つけろよ?』 この子供は、私が今まで見てきた中で一番の――王だ。 喰らってしまった彼に、そう告げた。 |
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あとがき。 666にはいろいろと謂れがありますね。 今回はかの暴帝ではなく獣の解釈で。 |
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