崩れていくこの身を
 溶けていくこの体を
 『俺』という形に留めておくための、大事な『枷』。
 その為に強くなろうと思った。
 『枷』を、守るために。

<片足>

 灰色の森(グラオヴァルト)城内は、朝から騒がしかった。
 メイドサーベント達が縦横無尽に走り回り、普段からは想像できない程の騒がしさ。
 長く領地から離れていた大魔道士が帰ってくるのだという。
 それを横目で見ながら、ナナカはぼんやり渡り廊下に腰掛けていた。
 城主のヴァンパイアの所に行こうかとも考えたが、きっと彼が一番忙しいであろうから、やめた。
 城と城とを繋ぐ、外に面した渡り廊下。
 そこから見える空を仰げば、冬の空がそこにある。
 先日再生した右腕を擦りながら、静かに息を吐いた。
 白いそれが、風に運ばれる。
 朝は穏やかな天気だったのだか、何時の間にかごうごうと風が吹くようになっていた。
「あ」
 双眸がそれを捉えてから、渡り廊下の柱にぶつかるまでは数秒とかからなかった。
 物凄い音がして、廊下が少し揺れる。
 黒い塊のように見え、廊下に蹲り呻いているそれは――青年だった。
 暗緑色の髪と、黒い服。
 その背中には、透明な――翠を帯びた羽根がある。
 いってーやっぱまだ制御しきれねぇなつーか痛けマジ痛ぇという呻きに、しゃらりという音が重なる。
 見れば、銀色のアンクレットが右足だけを飾っていた。
「ねぇ」
 声をかければ、青年が顔を上げる。
 鮮やかな緑の目が、妙に印象深かった。
「それ、重くないの?」
 言ってから、ナナカは自分が存外に動揺していると気付いた。
 本当は、「大丈夫?」と訊ねようとしたのだ。
 銀色のアンクレットに目が言って、そう訊ねるなど――
「……重くねぇけど、誰アンタ」
「……喋れるなら大丈夫ね。待ってて、今誰か呼んで来」
「ベル!?」
 とん、とナナカが廊下に降り立つのと、聞き慣れた声がそう叫ぶのはほぼ同時。
 声のした方を見れば――領主であり城主である金髪の青年が、こちらへと走ってくる所だった。
「やっぱり、凄い風が吹いたから君じゃないかって――なんで君はそう何時も何時も」
「ちょい待てリィ……四年ぶりにあった幼馴染に対する第一声がそれか? 此処が火の海になったっつーから、
 わざわざ紺碧の岬(ティーフブラオ・ラントツンゲ)から飛んで戻ってきたんだぜ!?」
「半月も前の話じゃないか!」
「ちょ、リィテメェ、半月で戻ってきたんだぜ! 並の魔道士なら二ヶ月はかかる距離を!」
 大声で――だか何処か楽しそうに――叫ぶ二人を見、ナナカはぱちくりと目を瞬かせる。
 彼等はしばらく喚いていたが、その内どちらとも無く笑い出した。
「おかえり、ベル――随分身長、伸びたんじゃないのか?」
「そりゃーこっちの台詞だリィ。随分馴染んだんじゃねーの」
 そういう青年はイェーオリよりも頭半分大きく、彼の金髪の髪を撫でている。
 そうしながら、廊下に立ち尽くしたままだったナナカを見る。
 その目は、髪と同じ暗緑色だった。
「リィ、この、可愛らしいお嬢さんは? 全く見覚えが無いんだけど。
 この年の住人なら覚えてるはずだから……移民?」
「ああ……彼女はナナカ。僕の客人で、この灰色の森の恩人だ」
「恩人?」
「この間の火竜騒ぎを、鎮めてくれたのはナナカなんだ」
「ふーん」
 黒衣の青年は一歩前に踏み出し、ハジメマシテと笑いかける。
 子供のような笑顔だと、ナナカは思った。
「ベルンハルド=シルフェリウス・フォレスマグァート。リィの幼馴染で、一応此処の大魔道士。
 ベルンハルドって長いから、ベルでいーよ。俺はナナちゃんって呼んでいい?」
「構わないわ。ベルさんは、」
「ちょーリィ聞いた!? 聞いたよな!? ベルさんだってベルさんだって!!
 うぁーマジ感動っつーか新鮮? 何かマジ萌えるんでーすーけーどー」
 ナナカの言葉を遮り、ベルンハルドはイェーオリに向けてそう言う。
 対するイェーオリは、眉間を押さえて深く溜息をついた。
「ベル、仮にも客人の前だ……大魔導士らしく、いや……常識人らしくしてくれ」
「えー」
「えー、じゃない……まったく」
「じゃあリィはナナちゃんのこと可愛いとか思わねぇんだ」
「……どう解釈すれば今のがそうなるんだ、ベル」
「あれ違った? じゃああれか。ナナちゃんの前じゃカッコイイ領主様でありたいとか――」
「なぁベル、お前を城の最上階から突き落としても良いか?」
「いゃんリィ、俺を殺す気? 愛が痛いよ」
「痛いのはお前だ。第一、ベルは殺しても死なないから大丈夫」
「何その理屈。『ヒト』じゃあるまいし、俺も死ぬっつーの」
「あははっ」
 二人の怒涛のやり取りに、ナナカは思わず笑ってしまった。
 ベルンハルドとイェーオリの二人が、揃って彼女を見る。
 ナナカはひとしきり――涙が出るまで、笑い続けた。
 ぽかんとする二人に対し、ごめんごめんと詫びを入れてから。
「だって……何か、本当に仲が良いんだなって思って。
 イオリも、ベルさんの前じゃ形無しだねっ……はは、何か、イオリがそういう風に喋るの、新鮮」
「……新鮮だってよ、リィ。良かったね」
「何がだベル……変だろうか、ナナカ」
「変じゃないわ。あたしとしては、リィの意外な一面がまた見れて嬉しいわ」
 にっこり、とナナカは笑う。
 その花の綻ぶような様に、小さく溜息をつくイェーオリ。
 それを見たベルンハルドは、暗緑を丸くする。
 それから――小さく、笑った。
「じゃあリィ、俺爺さん達に挨拶してくるわ」
「じゃあって……僕に会いに来る前に、彼等に会いに行くのが筋だろう」
「幼馴染に会いたかったんだよ! じゃあ、また後で」
「ああ……今日の夜は、歓迎会だからな。忘れるなよ」
「りょーかいっ」
 ベルンハルドは笑い、廊下の手すりに足をかけた。
 右足首を飾っているアンクレットが小さく音を立てた。
 たん、と手すりを蹴り飛ばす音は軽く。
 視界からその姿が消え、ナナカは一瞬息を呑んだ。
 だが、それはすぐに、突風によってかき消される。
 ナナカの目には、それに乗って――翠を帯びた透明な羽で飛ぶ彼の姿が見えていた。
「……イオリの幼馴染って、いろいろ凄いのね」
「あんなに凄いのはベルだけだよ」
 そう言ったイェーオリに、ナナカはまた笑いを零す。
 イェーオリの紅い目が、怪訝そうに細められる。
「ナナカ?」
「ごめんっ……なんかさ、イオリってあたしと違って、人の名前はきっちり言うんだと思ってたから。
 だからベルさんのこと、ベルって呼んでるのが新鮮で」
「さっきもそんな事を言っていたな……昔からそう呼んでいたから、その癖が抜けないんだ。
 それに僕のことをリィと呼ぶのも、今じゃベルだけだし」
 そう呟いたイェーオリは、何処か哀しげで。
 ナナカはそれきり、言葉を失ってしまった。

 空にかかる月は半月。
 その青白い光に照らされる部屋で、ナナカは深く息を吐いた。
 大魔導士の帰還を祝い、珍しく騒がしかった城内も今は静寂に包まれている。
 ベッドに寝転がり、ごろりと寝返りを打つが――どうにも、寝付けない。
 もう一度息を吐き、立ち上がりバルコニーに向かう。
 十一番目の月にもなれば、夜風は冷たい。
 けれども、頬を撫でていくそれは心地よかった。
(リィ、か……)
 幼馴染だという青年は、領主のことをそう呼んだ。
 歓迎会の最中も、背中を叩き怒鳴られていた。
 それは、普段のイェーオリからは考えられない様子で。
(当然だけれども……あたし、イオリのこと、全然知らないんだなぁ)
 そう思うのと、風が吹き始めるのはほぼ同時。
 ナナカは目を瞬かせ、そしてすぐに悟る。
 その風が自然のものではなく、人為的なものであることを。
 全身で気配を探り、そうして右手を伸ばす。
 青年を掴むのと、風が止むのは殆ど同時だった。
 暗緑色の髪と目を持つ青年は、苦笑しながらナナカを見上げる。
「……止めてくれてどうも、ナナちゃん」
「どういたしまして、ベルさん。目に見えてるものを掴むのは造作もなくてよ?」
 青年――ベルンハルドは笑い、よっ、と声をかけてバルコニーに降り立つ。
 その背中には、やはり、透明な羽が生えていた。
「どーにも自分じゃ制御しきれなくてね。しょっちゅう壁にぶつかってる」
「痛くないの?」
「リィにも言われた。けど、衝撃は大分和らいでるから平気」
 そう言って笑う青年の双眸は、暗緑色ではなく鮮やかな緑だった。
 それを見、ナナカは益々自分の推測が当たっているという確証を得る。
「どうして、こんな夜中に?」
「んー? ナナちゃんに会いに来た、っていう理由じゃ駄目?
 まだ起きてるのは、分かってたし」
 笑うベルンハルド。
 意を決して――ナナカは『それ』を訊ねることにした。
「ベルさんは――シルフ、なの?」
 徐々に暗緑色に戻る瞳が、ナナカを映す。
「どうして、そう思うの?」
「……その、羽と、名前と……それから、魔法を使う時、いつも風を纏ってるから。
 それにあたしが起きてるのだって、夜風に当たった時点で――シルフなら、分かる」
「正解。半分だけだけど」
 笑い、ベルンハルドはその場に座り込む。
 それから「見て」と、右足を彩るアンクレットを指差した。
 銀色のその表面には、古代文字が掘り込まれている。
「……『ヒト』のナナちゃんには、分かると思うけど?」
「分かってたんだ」
「何となく、だけど。風に乗ってくる波長が、俺達とは全然違ってて――東風に、似てたから」
「正解よ」
 答え、ナナカも同じように座り込む。
 目を細めてアンクレットを眺め――やっぱりと、嘆息した。
 それを見て、ベルンハルドは笑った。
「拘束術式……それも、そうとうに重い奴よね」
「そう」
 どうして、と問えば、もう答えは出てるよ、と笑う。
 その笑顔は――何処か、イェーオリに似ていた。
「……もし違ってたら、ごめんね。
 ベルさんは、魔導士って、イオリは言ってたから……ハーフ、かしら」
「そう。これが無かったら、俺は存在してらんないんだって。爺さん達に散々言われた」
「内側の、風が自由を求めて」
 ベルンハルドの暗緑色の瞳を、真っ直ぐに見つめてナナカは言う。
「外側の、体を壊そうとするから?」
「そう」
「……だから、精霊種と他種族の交配は禁じられてる……
 シルフと交われば風が、ウィンディーネと交われば水が、子供の体を食い破るから」
「『ヒト』がそうなように、ね」
 ベルンハルドは笑っていたが、だからこそ余計にナナカには辛く見えた。
 辛い境遇を乗り越えるために、彼は一体何を捨てたのだろう。
「そんな顔しないでよナナちゃん。女の子泣かせる男はサイアクなーのよ?」
 けらけらと、明るい笑い声が夜空に響く。
 ぽん、と頭の上に置かれた物が掌だと気付くまで、ナナカは数秒を要した。
 顔を上げる。
 暗緑色が、笑っている。
「確かに俺はシルフとのハーフで、拘束術式が無きゃ存在できない。
 でも、本質的な所で俺を拘束――いや、留まらせてんのは別のモンなワケ」
「何が、って聞いていい?」
「リィだよ。イェーオリ=ハーラルト・ストリンドベルィ・グラオヴァルティウス。
 ……幼馴染が、俺をベルっつーから……俺は、内側の『風』さえ従える事が、出来る」
 俺はリィに救われたんだ、とベルンハルドは言う。
 それはあたしも同じだわ、とナナカは返した。
 ベルンハルドは更に笑う。
「でもって、だ。世界中回って修行してきて、帰ってきたら――リィが、笑うようになってやがんの」
「笑うように?」
「んー……ちょっと違うな、前みたいに笑うように、だ。
 領主継いで、完全無欠な領主にならなきゃって気負って笑わなくなったんだよな。
 幼馴染の連中も、『リィ』じゃなくて『領主様』『イェーオリ様』って呼ぶようになったし」
 だからかと、ナナカは妙に納得する。
 イェーオリが昼間、子供のように笑っていたのも。
 同時に、酷く哀しそうな顔で呟いたのも――それが、原因らしい。
「そして、隣にはひっじょーに魅力的なお嬢さんが居て。すぐに分かった。
 ああ、これのおかげか――って」
 ナナカに向けられる、満面の笑み。
「……あたしは、何も」
「してるんだよね、これが。リィのこと『イオリ』って呼んで、普通に接してるじゃん?
 当たり前のものほど嬉しい時があんだよ――俺にも、リィにも」
 だから、とベルンハルドは呟いた。
「『ヒト』だろーとなんだろーと、リィを認めてくれる奴がリィの傍に居てくれてよかったと思う。
 ああ見えてリィ、繊細だから。だから――ありがと、ナナちゃん」
「……御礼を言われる、ようなことは……してないわ」
 イオリに救われたのはあたしの方だもの。
 俯きながら呟けば、ベルンハルドはナナカの髪をかき混ぜた。
 その掌が思いのほか大きくて、ナナカは少し驚いた。
「俯くこたぁナイデショ。ナナちゃんは悪いことしてないんだし?
 お互い背負ってるモンは重いかもだけど、意外と何とかなってんじゃん。
 まぁ、俺の場合は引きずってるモノ、かもしれないけど」
 顔を上げれば、ベルンハルドは笑っている。
 満面の、幼い笑顔で。
「だからもっかい。ありがとナナちゃん」
「……どういたしまして」
 たった一言をひねり出すのに随分と時間がかかったが、大魔道士は笑ったままだった。
 半月は、少しだけ傾いていた。

           あとがき。
            Erinnerungか彼華(個人的略称)かで悩んで結局彼華に。
            例え縛られようと、もう片方は自由なんです。二本あるんですから。
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