蒼穹に立ち上る、一筋の。 <煙> そこにあるのは死んだ村だった。 腐乱し、白骨と化した人々が地面に寝転がっている。 それを見、ベルンハルドは小さく溜息を吐いた。 昔、灰色の森(グラオバルト)を侵した流行病。 それが今、この紺碧の岬(ティーフブラオ・ラントツンゲ)に蔓延している。 ――正確には、蔓延して「いた」。 ベルンハルドが見た限り、生きているものは何処にもいなかった。 暗緑色の目を細め、ふぅ、と彼は溜息を吐く。 その足元を、乾いた風が走り抜けていった。 (ん……?) 肌を駆けた小さな違和感に、ベルンハルドは眉根を寄せる。 それは自然のものではなく――どちらかといえば、自分自身のモノと似ていた。 視線で風を追えば、それが向かうのは岬の一軒家。 さらさらとローブの裾を乱すそれに、もう一度溜息をつく。 そうして、彼はゆっくりとそちらへと歩き始めた。 所々に、まだ人の原型を留めている死体がある。 肌が黒ずみ、壊死した『人であったモノ』。 同じように死んだ友人や母親を思い出し、ベルンハルドはもう一度、今度は更に深く息を吐いた。 目を閉じたせいで死体を踏みかけ、慌ててよけたので少しよろけた。 辺りはしんと静まりかえり、だからさらさらという風の音がやけに大きく聞こえた。 さらさらと――岬を走り、海へと向かう風。 それのおかげで、腐臭はさほど感じなかった。 色褪せた木の扉を、控え目にベルンハルドは叩く。 中から「はい」と返事が返ってきて、ひゅうと思わず息を呑んだ。 静かに、扉を押す。 きぃと音をたてて開けた先には――見覚えのある文字。 床を、壁を、天井を這うそれは、彼の足首を彩るアンクレットに刻まれたものと同じだった。 そして、部屋の真ん中には――女性が一人、座っていた。 ベルンハルドよりも年かさの、中年女性。 ぱさついた黒髪の下から、鮮やかな緑の双眸がこちらを見る。 頬はこけて、まるで骨のようだった。 「あらあら……お客様?」 掠れた声が、笑って言った。 白いワンピースの裾から覗く足は、酷く細かった。 ――歩くために必要な筋肉が、そげ落ちていた。 「御免なさいね、今、手が離せなくて」 「……いいよ、別に。ただ、アンタに少し聞きたいことがあるだけだから」 そう言ってベルンハルドは入口に寄り掛かった。 アンクレットが小さく音をたてた。 「さっきから、海に向けてあの病気を流してるのは、アンタ?」 ええ、と鮮やかな緑の双眸が笑った。 その笑みに、ベルンハルドも唇の端を和らげる。 苦笑とも、泣きだす寸前とも取れる表情を浮かべて。 「そっか」 とだけ、短く呟いた。 さらさらと、先程よりも幾分弱くなった風が建物の中を抜けていく。 「……ずっと、此処にいるの?」 「ええ」 その後に言葉を続けようとして、彼女は息を吸い込んだ。 それより早く、ベルンハルドは言葉を紡いだ。 「内側の風が――外側の体を食い破るから」 鮮やかな緑が、ゆっくり見開かれた。 ベルンハルドは苦笑する。 「俺も、同じだから」 おなじ、と、小さく女性は呟いた。 つきんと痛む胸を無視して、表情を変えないように努力して。 そうして、言葉を紡ぐ。 「ベルンハルド=シルフェリウス・フォレスマグァート。灰色の森(グラオバルト)の――禁忌だよ」 見開かれた鮮やかな緑から、ぽろりと雫が落ちた。 常夜の民でもヒトでもない種族――精霊種。 ヒトと同じように、彼らもまた異種族との交配を禁じている。 ――己が司る力が、己が子供を食い破るために。 けれども、そうして生まれてくる子供は後を絶たない。 その大半が生まれた瞬間に死に絶え、生き残るのはごく少数 ――力を制御する術式と、それを扱える者が近くにいた場合のみである。 「でも、どうして……」 あるいているの、と女性は言った。 ああ、とベルンハルドは顔を歪める。 「母親が、稀代の大魔導士とやらでね。拘束術式をごくごく軽量化することができて」 ズボンの裾を少し持ち上げれば、片方の足首を彩るアンクレットが露になる。 幸運だったんだ、と呟く声は酷く掠れていた。 それが届いたのか、女性はくすりと笑いを零した。 「そんな顔、しなくていいのよ?」 ベルンハルドはきょとん、とした表情を浮かべる。 自分がどんな表情をしていたというのか、床に座り込んだ女性はくすくすと笑っている。 「私はね、生まれてからずっと、此処から出たことはないけれど――それでもね」 鮮やかな緑を、幸せそうに細めて。 「悪くは、無かったわ」 静かに、そう言った。 「風を詠んで、嵐を避けて――私は私に出来ることをしたまでなのに皆慕ってくれて、だから」 「だから――そうやって、病を流し続けたんだ」 ええ、と女性は頷いた。 そこに母親と同じものを見つけて、ベルンハルドは目を伏せた。 昔、灰色の森で同じ病が流行った時。 同じことを言って――彼女は病を殺し続けた。 その果てに、病を患って、死んだ。 つきんつきんと胸が痛んで、息をする度嗚咽が漏れそうになった。 「そんな体に、なっても?」 細い足が、こけた頬が、転がっていた死体と同じように黒ずんでいた。 ――もう、長くない。 死んでいてもおかしくない体で、尚も持っているのは――偏に半分だけ流れる血のおかげなのだろう。 喉が、鳴った。 「ええ」 そうやって笑った女性はやっぱり幸せそうで、ベルンハルドはくしゃりと顔が歪むのを隠せなかった。 笑顔がそのまま、後ろに倒れた。 ――風が、止んだ。 凪いだ空に煙は高く昇って、まるで梯子の様だとぼんやり思った。 ベルンハルドの足元には、燃え続ける棺がある。 それは家の扉やテーブルを失敬して作った、ありあわせのものだった。 ベルンハルドが彼女に払える、精一杯の敬意。 徐々に崩れていくそれを、暗緑色の双眸でじっと見下ろす。 「俺、さ」 ぽつりと呟いた声は、酷く震えて掠れていた。 「ずっと――何で生き残ったんだろう、って思ってた。アンタと同じように、母さんを燃やした日から、ずっと」 少しだけ煙が揺れた。 ベルンハルドは、常に風を纏う。 故に――流行病にもかからなかった。 死にゆく友人を、民を見て、自分の身を呪ったのは一度や二度ではない。 そして。 「……だから、遊学って言って、逃げてきてた。幼馴染もほっぽってさ。最悪だろ?」 はは、と乾いた笑いを無理に浮かべた。 「もっと最悪なのは――こんな俺が大魔導士だってコト」 重くて逃げてきたんだ――嫉妬と羨望と敬意と、いろんなものを振り切って。 目を伏せて、まるで懺悔でもするかのようにベルンハルドは言葉を紡ぐ。 同じ境遇の彼女は、白い煙となって空に昇っていく。 他の全てを地に帰し、彼女だけ火葬にしたのは――死して尚、この地に縛られることはないと、そう思ったから。 くく、と喉元で笑いを転がす。 「――アンタは凄いよ」 名前も知らない同胞に、そう告げる。 殆どが燃えてしまったが、それでもベルンハルドは続けた。 「ずっと、ずっと、背負って生きて――ホント、凄いよ」 こつん、と右拳を額に乗せる。 苦笑いの出来損ないを浮かべて、しばらくベルンハルドはそうしていた。 「……帰ろうと、思うんだ」 そう喉から捻り出せたのは、火が随分と小さくなってからだった。 声は震えていたけれども、表情は変わっていた。 「多分、なんか吹っ切れたんだと思う。違うな、背中押された、のがあってるかな?」 自信に満ちた、笑み。 まぁいいやと呟いて、ベルンハルドは空を見上げた。 吸い込まれそうな程の、蒼穹。 ひゅう、とその背中から風が吹いた。 半分だけ風の精霊(シルフ)の血を引く彼は、風の声を聞くことが出来る。 現に、今も――故郷が火の海になったと、風は告げてきた。 暗緑色の双眸を閉じる。 次に目を開けた時、それは鮮やかな緑に変色していた。 「会えてよかった」 小さくそう呟いて、ベルンハルドは一歩を踏み出す。 それと同時に背中に疑似的な『羽』が顕現する。 最早煙を昇らせるだけになった彼女の亡骸に、小さく笑いかける。 「――ばいばい」 ごう、と突風が吹いた。 それに乗ってベルンハルドは飛び――煙は空へとかき消えた。 後には、ただ青だけが残された。 |
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あとがき。 リハビリ。鬱屈ベルンハルド。 逃げるのは簡単でも、受け入れるのは大変なコト。 |
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