一時の快楽、ちょっとした背徳感。 ……そんなモンの為に命投げ出してりゃ、世話無ェよな。 <合法ドラック> 最近の女子高生の間で、それはまことしやかに流れている。 「クウハク」という名の、合法ドラックの話。 曰く、依存性が無く体に悪影響を与えることは無い。 曰く、殆ど無料で流通しているらしい。 曰く、キメた時の快楽が半端ない。 曰く、組織ではなく個人が流しているドラックなので、ヤバイことにはならないらしい。 曰く、『魔女』と呼ばれる売人に、直接連絡を取るしか手に入れる方法はないらしい。 そんな沢山の噂話。 彼女のクラスでも約一名を除いて、その話でもちきりだった。 その約一名曰く「くだらない」――けれども彼女以外には「酷く魅力的な」話。 そこに、危機感はない。 好奇心と、ルールに背く背徳感、そしてそれらが与えるどうしようもない高揚感。 それしか、存在していない。 「危ないんじゃないの?」と誰かが言った。 「大丈夫だよ、『合法』だもん」と誰かが返した。 そうして、そのドラッグは女子高生の間に浸透して行ったのだ。 千里は紙に書かれたその番号を、緊張と興奮が入り混じった面持ちで見下ろしていた。 変人の同級生が、「秘密だよ?」と言って渡してきた十桁の数字の羅列。 ――『魔女』に繋がるという、電話番号。 噂が一気に真実味を帯びた時の、その興奮と言ったらなかった。 どうして、と訊ねれば彼はにへらと笑って見せた。 「別に、ただ、なんとなくだよ。俺には必要のないものだし」 そう答え、彼はまた窓の外を眺めて笑っていた。 午後の授業中、千里はずっと落ち着かなかった。 制服の胸ポケットにしまったその紙にばかり、意識が傾いていた。 授業が終わると同時に学校を飛び出し、路地裏に駆け込んで電話をかけた。 ――繋がった回線の向こうから聞こえてきたのは、確かに女性の声だった。 そうして、今に至る。 取引場所に指定されたのはテナントの入っていない廃ビルで、もっともらしい雰囲気を漂わせている。 そこで一枚の紙切れを手にしたまま、千里は今か今かと売人を待っていた。 薬をキメたらどうしようか、と薄ぼんやりそんなことを考える。 友達に自慢しようか、それとも、自分のうちだけに秘めておこうか。 その間にも、頬が緩むのは止められない。 (しばらくは、黙っておこう) そうして、どんなものかと噂をする友人達を眺めていよう。 足音が耳に飛び込んできたのは、千里がそう決めた時だった。 かつんかつんと、ゆっくり、けれども確かにそれは近付いてくる。 きぃ、と古ぼけた音を立てて扉が開いた。 「っ――」 千里は思わず、息を呑んだ。 どんな女性が現れるのかと思っていたのだが――予想に反して、扉を開けたのは男性だった。 背の高い、黒いスーツの男。 茶色い硬質の髪に彩られた顔は整っていて、一瞬心臓が跳ね上がった。 彼は千里を見、それから少しだけ首を傾げて。 「……アンタが、依頼人?」 そう、低くよく通る声で訊ねてきた。 言葉が見つからず、千里はただ頷く。 それをどう取ったのか、「ふぅん」と気のない返事を返し、彼は近付いてくる。 あと数歩、というところまで来て、千里は彼の目が赤いことに気がついた。 じっとこちらを見つめてくるその不思議な色合いに、ますます言葉が見つからなくなる。 伸ばされた、骨ばった指が、顎を掬う。 「まぁ、俺としては嬉しいんだけどな」 その言葉の意味が掴めず、千里は数回瞬きを繰り返す。 その間に――彼は、千里の上に屈みこんで来た。 唇に暖かいものが触れると同時に、口の中に入り込んでくる何か。 喉の奥で縮こまっていた舌を、それは見つけ絡め取る。 くちゃり、と濡れた音が耳に届いた。 咄嗟の事に、千里の頭は真っ白く染まる。 そうして数秒の後――世界は黒く反転し、二度と戻ることはなかった。 いつものように壁をすり抜けてやってきた椎名のリビングでは、彼女の孫が紅茶を淹れていた。 「おかえりばとさん」 早かったね、という少年・蘇芳に、抜都は肩を竦めることで答える。 「なっちゃんが出てきたからな。早々に退却してきた」 「あぁ、あのばとさんお気に入りの」 くすくすと笑いながら、蘇芳はカップを一つ、抜都に寄越す。 そうしてまた、新しく自分の分を注ぎ始める。 抜都自身は紅茶を飲まないのだが――「飲むだけが紅茶の楽しみ方じゃない」らしい。 「なぁ蘇芳」 「なぁに、ばとさん」 「今日の依頼人、な」 赤と茶が交じり合った双眸を細めて、抜都は魔女の孫を眺める。 「――お前のトコの、制服着てたよ」 少し笑いを含んだ声に、蘇芳は顔を上げ――にへらと、笑う。 「そりゃ、俺が教えたもん。椎名の番号」 「へぇ……合法ドラッグとか言ったか」 言いながら足を組み、意識の底で馴染んだ服を想像する。 瞬時に顕現したそれは大陸中央部の伝統衣装で、スーツよりも遥かに楽だった。 「〈空魄〉をドラッグ呼ばわりとはね、恐れ入ったよ」 「そうかなぁ、似たようなものだと思うけどね」 「そうか?」 「そうだよ」 そこで一口、蘇芳は紅茶を口に運んだ。 「どっちも死に至るじゃないか」 「取り返しの付かない、って辺り、〈空魄〉のがタチ悪ィだろ」 「そうかなぁ、俺はまだ〈空魄〉のがマシだと思うけどね」 くすくすと蘇芳は笑う。 そこに、自分の同級生を目の前の人外に差し出したという罪悪感はない。 小さく笑いながら、それに、と蘇芳は続ける。 「――どっちも自分の命を軽く見てる人間が使うモノ、って辺りは一緒だと思うよ?」 くすくす、くすくす。 日の傾きかけた応接間に、控えめな笑い声が満ちる。 もう一口紅茶を口に運び、蘇芳は正面から抜都を見据える。 その際に髪が揺れ、普段は隠れている名と同じ色の右目がちらりと覗いた。 「俺も椎名も、そういう人間嫌いだからねぇ」 「だからって普通、〈空魄〉の餌にするか」 返す抜都も、口の端に笑みを浮かべている。 本気で責める気など微塵もない。ただ、言葉を繰って遊んでいるだけだ。 「魔女は酷いものなんだよ、抜都さん」 ことりとカップを置いた蘇芳は、指を組みその上に顎を乗せる。 「合法と名付けられていたって、事実それは麻薬に違いない。ただ、既存の法に該当しないだけだ。 ただ表面に魅せられて、本質を知ろうとしない人間には、魔女は特に酷いんだ」 「その魔女の徒弟も、だろ」 「その通り」 斜陽が満ちる部屋に、笑い声が響く。 くすくすと笑い続ける魔女の徒弟に、抜都は静かに息を吐いた。 背もたれに頭を預け、唇を歪める。 「仕方無ェな――魔女がそうなら、仕方無ェ」 そのままくすくすと、抜都も笑った。 |
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あとがき。 最近「合法」じゃなく「脱法」と呼ばれているらしいですね、アレ。 本物への導入剤みたいなカンジらしいです。 |
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