逢魔時に、歪に伸びる。 大禍時に、歪を示す。 <影法師> 幼い時から、不思議で仕方がなかったことがある。 普段は多少長くなったり短くなったりするものの、忠実に自分の形を模している『ソレ』が。 ――どうして、辺りが黄昏に染まるころには歪になるのか。 両親はそれを、「日が傾くから」と、大したことのないように笑った。 けれども私は、そうだとは思えなかった。 だから私は、夕方が嫌い。 それは幼い頃も、今も変わらない。 どうして誰も、疑問に思わないのだろう。 どうして誰も、恐怖を感じないのだろう。 私はずっと疑問で、そして解決されないそれが恐ろしくて仕方なかった。 そして――その疑問であり恐怖である元凶は、今、私の目の前ですっと立ち上がった。 あ、と声を上げる間もなく、『ソレ』は口を開ける。 体の半分が口になったかのように開いた、闇よりもなお昏い黒。 それは『ソレ』の持ち主に覆いかぶさり、ぱくりという形容詞か相応しくない動きを見せた。 名前も知らない他人が、影に食われた。 その事実に、私はそこから動けなかった。 電柱の半分くらいまでの高さになった影は、ふらふら揺れながら此方を見た。 それに目はないから、「見た」というのは私の感覚でしかない。 けれども私は、視線を感じた。 そうして、口が歪むのを見た。 ああ食われるのかな、とぼんやり思う。 頭の中で警鐘が鳴り響いているけれども、足が動いてくれない。 ああ、やっぱり夕方は怖い時間なんだ。 そんな、場違いなことを思ったその時だった。 「――ああ、遅かったか」 静かな声が、辺りに響いた。 それはけして大きいものではなかったが、殆ど無音になっていた私の世界には大きく聞こえて。 首を巡らせてそちらを見れば、上から下まで黒尽くめの子供が影の向こうにいた。 足首まである長い外套と、ひょろりと伸びた長い帽子。 どちらも夜を押し固めたように黒いものだから、覗いた手や顔の白さが痛々しかった。 「まぁいい――召し上がれ」 ぽつり、と子供は零す。 その瞬間――影の足元まで伸びていた子供のそれが、ざわりとざわめいた。 黒いはずのそこで、何かがうごめいている。 それは目で見えた訳ではなくどちらかというと感覚的なものだったが、私はその確信を持っていた。 先程と同じように、闇よりなお昏い黒がぱくりと口を開ける。 ぱくり、と、立ち上がった影は子供の影に飲み込まれた。 先程と違うのは、子供の影は飲み込まれたそれのように立ちあがらなかったことくらいだ。 私と、子供と、それからお互いの影だけが残された、夕暮れ時。 私よりも小さな子供は私を見上げて、小さく「大丈夫」と言った。 それは訊ねたのか、それとも安心させようとしたのかは判別がつかなかった。 ただ、私はそれに頷いた。 あれは「バケモノ」なのかと問えば、子供は少し首を傾げた。 子供の影も、首を傾げた。 「化物とは、少し違う」 「じゃあ」 「あれは、結局人間」 「……あんな、二メートルはあったのが?」 「影は、人間を映すものだから」 その言葉は、ずっと抱えてきた疑問と恐怖への回答のように思えた。 思わず目を瞬けば子供は一歩前に踏み出す。 「普段は忠実に、人を映すもの。けれども逢魔時は、境界が歪になる時間。 どちらか主か分からないほどに歪んでしまえば、従たる影が主を喰らい、主にとってかわる」 ただでさえこの時間は歪みやすいから、という言葉は相変わらず小さい。 思わず振り返れば、そこには長く伸びた自分の影。 これも、いつか立ち上がって私を食らうのだろうか。 そう問えば、子供はまた小さく首を傾げる。 「お前が、自分を保てないほどに、歪んでしまえば」 「……ああ」 まだ私は自分を保てているのか、と、その言葉に思った。 納得した私の前で、子供は長い帽子をかぶる。 ふと気になったので、何故そのような格好をしているのかを訊ねてみた。 そうすれば、子供はぱちくりと目を瞬かせる。 「驚いた……そんなことを聞かれたのは初めてだ」 「……気になった、から」 「うん……影が、歪まないようにしている」 ある意味ではもう、歪んでいるから。 そう言った子供は何処か悲しそうで、私は初めて目の前の子供に感情というものを見た。 「だから、気をつけて」 小さく、本当に小さく言って、子供は踵を返す。 その小さな背中が数歩遠ざかるまで、私は何も言えなった。 けれども弾かれたように「ありがとう」と叫べば、驚いたように子供は振り返る。 黒い双眸を見開いて、私を見ること数秒。 ふにゃり、とその顔が年相応に解けた。 ああ、そんな顔もできるのかと妙に安心した私の足元で、 ――子供の影が、にやりと笑った。 |
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あとがき。 逢魔時は大禍時が転嫁したものらしいです。 けれども、前者と後者で意味が違うと思うのは、私だけでしょうか。 |
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