彼女の左袖は風に揺れる。
 本人曰く、「昔カミサマにやっちまったよ」とのことで。
 無愛想にそう言った俺のカミサマは、今日も神様を見続けている。


<欠けた左手>

「相楽さーん、刺青彫ってー」
「ほざくな餓鬼」
「ガキじゃないよー、俺先週十八になったもん」
「未成年が何言ってんだよ」
「え、成人って十八からじゃないっけ」
「二十歳だ馬鹿」
 はぁ、と深い溜息を吐く相楽さんに、俺はにへらと笑って見せた。
 そのまま店の奥に消えるのはいつものこと。
 少しだけ待てば、美味しい日本茶と和菓子を出してくれる辺り、相楽さんも結構いい人だ。
 相楽さんを待っている間、俺はぐるりと店内を見回す。
 少しだけ暗い、けれども決して不潔ではない店内。
 台所に続く引き戸が一つと、二階へあがる階段が一つ。
 それから――仕事場に続く、少しだけ場違いなステンレス製のドアが一つ。
 それ以外は相変わらずで、女の人の店じゃないよなぁ、だなんてぼんやり思う。
「お前、またピアス開けた?」
「あ、うんっ。見て見て、右のへリックスとダイスでしょ、あと左にインダストリアルー!」
「前見た時よりも、あと二つは増えているのは気のせいか?」
「……あと、耳朶に一個ずつ」
「そのうち耳が重さでとれそうだな」
 くく、と色違いの目を細めて笑う相楽さん。
 とん、とテーブルの上に置かれたのは、お寿司屋さんで貰える魚の名前が書いた湯呑だ。
 今日のお菓子は、黒胡麻と白胡麻の大福だった。
 和菓子自体はあまり好きじゃないけど、相楽さんが選んでくるお菓子はどれも美味しいから好きだ。
「その穴が落ち着くまでは彫れないな」
「えー!? じゃあ半年は確実じゃん!」
「半年経ったってお前まだ十八だろ。未成年には施術できねーんだっつーの」
 いい加減覚えろ、という呆れた声。
 むぅと頬を膨らませれば、相楽さんは喉で笑った。
「お前、その耳で高校大丈夫なの」
「あーいーのいーの。俺の学校不良しかいないから」
「はっ、その中でも不良が何言ってやがる」
「え、俺学校じゃ優等生だよ?」
「何処の世界に頭金色で、耳穴だらけな優等生がいるんだよ」
「この世界?」
「抜かせ」
 お茶を一口すすって、それから玄関に向かう相楽さん。
 歩くたびに、空っぽの左腕がゆらゆらと揺れた。
 表にかかった札をからんと裏返して、それから店内の掃除を始める。
「今日、もう終わるの?」
「あぁ、お前来たし――夕方に一つ、予約が入ってる」
「ふーん……あ、じゃあお客さん来る前に俺帰るね」
 何とはなしにそう言えば、相楽さんは少し驚いたように俺を見た。
 どうしたの、だなんて問えば、意外だ、なんで笑う相楽さん。
「いつもは夕飯せびってく癖に」
「え、だって邪魔したくないもん」
「……珍しい、明日は雨だな」
「え、酷い!」
 思わず声を上げれば、相楽さんは声を上げて笑った。
 相楽さんは、彫り師だ。
 左腕がないのによく彫れるな、と最初感動したのを覚えている。
 それだけではない。
 相楽さんの刺青は、本当に綺麗なのだ。
 そして、俺は彼女の刺青が綺麗なだけではないことを知っている。
 軽く店を掃き終わった相楽さんは、やっと俺の前に腰を降ろした。
 灰色と、それから赤の瞳が俺を見て和らぐ。
「ピアスは別に構わないが、消毒はちゃんとしろよ?」
「……してるよ。これだって自分で開けたんじゃなくて、ちゃんと病院いったし」
「そうか」
 その「そうか」は相楽さんにしては珍しいもので、俺は照れ隠しにお茶をすすった。
「相楽さん」
「ん?」
「やっぱり――俺にはまだ、『視え』ない?」
 そう訊ねれば、相楽さんは持っていた湯呑をことんと降ろした。
 残った右手で右目を覆い、赤い左目で俺を見る。
 沈黙は、数秒。
 溜息と共に降ろされた右手が、全てを物語っていた。
「……ンな顔すんなって。お前はまだ、時期じゃないんだよ」
 そう言ってくれる相楽さんの声は、優しい。
 相楽さんの左目には、『神様』が見える。
 勿論『神様』というのは俺が勝手に名付けて呼んでいるだけなのだけども、
 相楽さんの左目は、その人に相応しい図柄が視える、らしい。
 何度か見たことのある相楽さんの作品は、確かにその人らしさを引き立てていて。
 だから、相楽さんのお客さんは自分で図案を持ってくることは少ないらしい。
 勿論、それは俺が住んでいる世界の話。
 裏世界、闇世界と呼ばれる所では、別の意味で相楽さんの彫り物は有名だ。
「ねぇ、相楽さん」
「ん?」
 黒胡麻の大福を咀嚼しながら、相楽さんが首を傾げる。
「あのね、もし、俺が二十歳になっても『神様』が視えなかったら」
 たまに、そんな人もいるらしいとは前に聞いた。
 多分、その人達には『神様』がいないんだって俺は思う。
 それがいいのか悪いのか、俺には分からない。
 俺は相楽さんじゃないから、俺に『神様』がいるのかいないのか分からない。
 けど、もしそうなら。
「俺さ、彫ってほしい図案があるんだ」
「ふは、お前まだ二年は先の話だろ」
「いーじゃん、あ、もし視えなかったらの話ね。視えたら、やっぱりそっちの方がいんだけど。
 ――左腕のない、『カミサマ』入れて? 左目が、赤い、女神様」
 ぱちくり、と相楽さんの目が瞬く。
 それから、それが静かに伏せられた。
「馬ァ鹿」
 ああ、また俺馬鹿なこといったかもしれない。
 今の相楽さんは、本当に悲しそうな顔をしている。
「そんな簡単に『カミサマ』決めんなよ」
 俺は、相楽さんの過去なんて知らない。
 ただ少しだけ、左腕を失った経緯を聞いたことがあるだけだ。
 俺が何もいえずに言えば、「それに」と明るい声を出す相楽さん。
「第一、私の図柄は『神様』じゃない」
 そこに苦笑の響きを見つけて、俺は顔を上げた。
 違うといいたかったけど、言葉が見当たらない。
 それでも何かを言おうとするのと、からからと引き戸が開くのは同時。
 揃って玄関を見れば、そこにはチャイナドレスを着た髪の長い女の人が立っていた。
「すまない、邪魔をする」
 相楽さんと同じ赤と、黒に近い濃紺が此方を見て細められる。
 その横には、漢服を着た男の人。
 お客さんって、あの人だったのか。
 嫌な気分になる俺をよそに、相楽さんは「孝輔、上行ってろ」と小さく言う。
 それに頷いて、俺は階段を昇る。
 昇り切る前にちらりと下を見れば、相楽さんがまた左目を細めていた。
 相楽さんは違うと言ったけど、俺はやっぱり、相楽さんが見ているのは『神様』だと思う。
 彼女が見る刺青は、大なり小なりその人に『力』を与える。
 だから、そう言う『能力者』――それも、裏世界に生きている人には、評判がいいらしい。
 現に今やってきた、赤と濃紺の人は何処かのマフィアのボスだったはずだ。
 俺は、あんまり相楽さんにそういう人達と関わってほしくない。
 多分、相楽さんも『能力者』だから、特保に目をつけられたら厄介だ。
 でも、俺はそんなことを言えない。
 言える、立場じゃない。
 それが悔しくて泣きそうになれば、こちらを見上げる相楽さんと目があった。
 小さく笑う、その顔。
 綺麗なそれになんだか見透かされているような気分になって、俺は急ぎ足で階段を昇りきった。
 見上げた窓の先には三日月。
 あと何度満ちて欠ければ彼女に絵柄が見えるんだろう。
 絵柄が、見える日が来るんだろう。
 そんな不安を吹き飛ばすように、俺は頭をぶんぶんと振った。
 とりあえず今は――夕飯を作ろう。
 仕事が終われば、多分相楽さんは疲れているだろうし。
 そう思った俺の耳元で、こないだ開けたピアスが小さく鳴った。
 

           あとがき。
            耳穴だらけにしたいのも刺青入れたいのも全部作者の願望です。
            刺青は文化だと思う。弊害は色々あるけれども。
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