夜のゴミ捨て場に、それは投げ捨てられていた。 人が入れそうなほど大きな段ボール箱。 ガムテープで封はしていない。 隅の方には赤黒い染みなんかがついている。 誠司は、それを見て両手に持っていた黒いゴミ袋を取り落とした。 (……やっぱり、明日の朝出せばよかった) 面倒くさいから夜に出すんじゃなくて。 自分の行動を呪いながら、彼はのろのろとそれに近付く。 好奇心と恐怖の小競り合いで、好奇心の方が勝った結果だ。 中途半端に開いた上部に手をかけ、開く。 中に蹲っていた赤と目が合った。 誠司は思わず、それを閉めた。 少し時間を置いてから、もう一度開く。 夢でも何でもなく、そこには子供がうずくまっていた。 黒い髪は無造作に伸び、ダンボールの底に海を作っている。 その合間から見える赤は、じっとこちらを見上げている。 着ているものは――所々、赤黒い何かで染まっている以外は――シンプルな白の上下。 「……っわぁ!?」 止まっていた脳みそがゆるゆると再起動し、夜中にあげるには些か大きすぎる声をあげてしまった。 子供はそんな誠司を見て、無表情のまま。 「うむ、中々にいい反応だな」 性別が判別付けづらい声で言った。 「拾え。拾って貴様に損はさせないぞ」 誠司に人差し指を突きつけてそう言う。 高慢な物言いに、誠司は驚きよりも何よりも、怒りが先に現れた。 「それが人に物を頼む口調か?」 「……拾い給え?」 「却下」 「拾え」 「だから物を頼む口調じゃないだろそれ」 「……ひろって」 三度目に呟いた言葉は、今までの二つとは少し違っていた。 「ひろって、下さい」 哀しそうな、縋るような、そんな声音。 取り落としてしまったゴミ袋をダンボールの後ろに投げ捨てて、誠司は両手で子供を抱き上げた。 驚くほど軽かった。 「……」 無言のまま、しかし子供の表情が静かに変化していく。 嬉しそうな微笑。 今の俺って人攫いだと思われても仕方ないんじゃ……と思いながらも、誠司はアパートの階段を駆け上った。 子供は枸杞(くこ)と名乗った。 「とりあえず風呂入れ。匂いが凄い」 誠司は子供を風呂場に降ろし、先程枸杞がしたように指を突きつける。 無造作に伸びた髪は、子供の身長よりも長く、子供が立っても床に海を作った。 なんと言うか、見ていて怖い。 「一人で入れるか?」 「ああ、問題ない」 「ソーデスカ……」 溜息を吐く誠司の前で、枸杞は上着を脱いでいく。 ズボンを脱いだところで――誠司は顔を背けた。 右手で顔を覆い、誠司は今見たものを忘れようとしていた。 「……なぁ、枸杞」 「何だ?」 「……お前、もしかして……女?」 肯定の意が返ってきた途端、誠司は光を越えるくらいの勢いで風呂場から出た。 急いで扉を閉め、そこに背中を預ける。 中から水音が聞こえ始めたのを確認し、深く深く溜息を吐いた。 「マジかよ……」 てっきり男だとばかり思っていた。 だからこそ連れてきたのだが。 (……つーかアレ? 俺やばくないか? どう考えても誘拐犯だろ俺っ) いろいろ落ち着いてみると、思考が物凄い速さで流れていく。 それは外からの音を遮断して、水音が消えたことさえ誠司は気付かなかった。 体重を預けていた扉が、からからと開く。 濡れてべっとり張り付いた黒の合間から、赤が誠司を見上げた。 「何か拭くものを貰えないか?」 「そっか……ほら」 バスタオルを頭の上に投げかけてやれば、枸杞は髪を拭く。 だが髪の下の方は拭けないらしく、重たそうに濡れていた。 体に張り付いているので、要所要所が見えないのが幸いだった。 棚から自分の寝巻きを取り出し、頭から被せる。 裾が膝まで来たので一安心した。 襟から髪の毛を出し、枸杞の手からバスタオルを奪う。 わしゃわしゃわしゃ――と音を立てて拭けば、小さな笑い声が上がった。 肌は、病的なまでに白い。 それが瞳の赤と相俟って、綺麗だと誠司は思った。 「髪、重くないか?」 「水を吸っただけだから。乾けば今より軽くなるぞ」 にぃ、と笑いながら言う枸杞を再び抱き上げる。 居間に連れて行き、マガジンラックにあった新聞を広げた。 その上に立たせる。 「切るぞ」 「構わないぞ」 そんな短いやり取りの後、誠司は枸杞の髪に鋏を入れた。 拾ったんだったら何しても言いか、と半ば誠司は開き直っていた。 何より水に濡れた長い髪の様子は――某ホラー映画のアレを思い出させた。 「首筋が寒い」 「あー? 我慢しろっつーの。髪濡れたままだと風邪引くだろ」 「……変な奴だな、貴様は」 枸杞は自分の足元に視線を落として呟く。 今まで誰もそんなことを言ったためしは無かったぞ、と。 一応首の辺りで切りそろえてはいるが――出来に自身は無い。正直無い。 「……おかっぱなったら怒る?」 「おかっぱって何だ?」 「…………怒るなよ。絶対怒るなよっ!!」 そう言いながら、誠司は首筋に切り傷のようなものを見つけた。 首を傾げる。 だが、聞かないで置いた。 「枸杞、こっち向けって」 後ろは大分短くなったが、前はまだ長い。 サイドを少し長くして、前髪に鋏を入れようとして――少し躊躇う。 「……怒るなよ、怒るなよ、怒るなよ、怒るなよ……」 呪文のように呟いて、前髪に鋏を入れた。 結果としてそんなに悪くはなかった。 「よっし。どーよ、軽くていいべ」 「そうだな……物足りない感はあるが、軽くていい」 けたけたと枸杞は笑った。 短くなった髪を、バスタオルでかき混ぜる。 嬉しそうに枸杞は笑った。 意外と綺麗な笑顔で、将来美人になんのかなとぼんやり思った。 何故捨てられていたのかを、枸杞は喋らなかった。 ただ笑うだけだった。 一度聞いただけで、後は誠司は聞かなかった。 コーヒーに息を吹きかける様子は年相応に可愛いと思ったし、 何より自分の行動、それこそ一挙一動に反応が返って来るのは嬉しかった。 幼い頃から一人で暮らしてきた分だけ、「枸杞」という存在は、重要だった。 「セージ、朝だぞ起きろ!! 今日から新しい仕事なのだろう?」 二週間という期間は長いもので、枸杞は大分誠司に懐いた。 まるで犬か猫のようだった。 「三日で首になったら社会不適応者の烙印を押してやるぞ」 「……くこ……朝からうっさい」 「こうでもしなければ貴様は起きないだろう!」 ころころ笑いながら、枸杞は布団を引っぺがした。 あーともうーともつかない声をあげて、誠司は起き上がる。 ソファがまだ手招きしていたが、社会不適応者の烙印は要らないので立ち上がった。 二週間前から、元々誠司のものだったベッドは枸杞に占領されている。 一緒に眠るという選択肢は、誠司には選べなかった。 「ほらほら、とっとと朝食を胃に収めろ!」 「……素直に飯食えって言えよ」 半ば呆れながら、言葉どおりにテーブルにつく。 目玉焼きとトーストというメニューだったが、それでも誠司は満足だった。 トーストの上に目玉焼きを乗せ、一気にかぶりつく。 三口でそれを平らげ、思い出したように誠司は。 「今日遅番だからちょっと遅くなる。夕飯までには帰るよ」 「わかった」 向かい側で、赤が楽しそうに細められた。 黒をかき混ぜ、誠司はいってきますと、久方ぶりに呟いた。 例えば、それが明日消えてしまったとしても。 今日在ることは確かなこと。 だから、今日があれば、それでいい。 誠司は花屋の前で、ふと足を止めた。 男の一人暮らしだったため、アパートには彩が無い。 そこで待つ少女のために、何か買っていこうかと考える。 幸い、財布は少し重い。 少し考え、店頭に並んでいた鉢植えを奥へと持って言った。 硬貨一枚分の重さを抱えて、家へと向かう。 アパートの前のゴミ捨て場に、いつかのような大きなダンボールが置いてあった。 階段を上り、自分の部屋の扉に鍵を差し込む。 鍵は掛かっていなかった。 「……枸杞?」 怪訝に思って扉を引けば、あるのはただ暗闇ばかり。 電灯の明かりも少女の笑顔も、何処にも無い。 さぁ、と血の気が引いた。 だっと踵を返し、今来た道を引き返す。 視界の端でちらついたダンボール。 明日の朝は、リサイクルゴミの日ではない。 それ以前に、リサイクルゴミであれば畳んであるはずだ。 人が入れるほど、大きなダンボール。 そんなものが、そうそう捨てられているだろうか。 答えは、否。 いつかと同じように、半分開いた上部をあげる。 いつかと同じように、子供が蹲っていた。 「……枸杞」 何してるんだと訊ねれば、恐る恐る赤がこちらを見上げてきた。 「いつまでたっても返ってこないから」 震えた声だった。 「捨てられたんだと、思った」 「もう帰って来ないんだと思った」 「……ひとりは、いやだ」 とつとつと呟くように、子供は言う。 肩を震わせて。 あの日もこんな、縋るような目をしていたのだろうかと誠司は思う。 「遅くなるって言ったろ」 「夕飯までには帰るって、言った」 空はもう既に、闇に染められている。 普段は斜陽の頃に夕飯を食べているので――遅い、としか言いようが無い。 「捨てられたと思った」 それを何度も繰り返し、枸杞は肩を震わせる。 「前と同じように」 すてられたかと、おもった。 涙声で呟かれた言葉に、誠司は枸杞に手を伸ばした。 自分が切りそろえた髪を、静かに撫でる。 「……ごめん。連絡すればよかった」 そう言って、手に持った鉢植えを差し出す。 「お土産」 赤い色の花をつけた鉢植え。 枸杞の目の色に、よく似た花だったから。 「買ってきたんだ」 それを枸杞に持たせ、誠司は彼女を抱き上げる。 「何だか、また拾ったみたいだな」 「っ……セージぃ……」 「ごめんって。悪かった。ちゃんと、次からは連絡するから」 軽すぎる少女を抱きしめて、青年は呟く。 「俺は、捨てないから」 呟いた後、少女の嗚咽が大きくなった。 誠司はアパートの階段を、一段一段確かめるように上っていく。 「晩御飯は、あるもので何か作るか。お前冷えてっから、温かい物にしよう。鍋もいいな」 少女が頷く。 「そしたら、風呂入って……一緒に寝ようか」 少女は頷く。 泣き続ける少女を抱え、誠司は再び、家の扉を開けた。 程なくして、その部屋に電灯が灯った。 しばらくして、黄色い光は、消えた。 明日には無くても、今日には在った。 だから、 今日があれば、それでいい。 。。。「ひろって下さい」。。。 |
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――あとがき―― Sweet Sweet Chocolateの藤沢 鈴華さんに差し上げた復活祝い小説です。 「ひろって下さい」というお題でのSSです。 いろいろ突っ込みどころはありますが見逃してください。 無断転移を禁止します。 |
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