<髪の長い女>

 壁は相変わらず無機質で。
 もっとも壁に体温とかがあったらかなり怖いなとか思いつつ、翔燕は階段を下りていった。
 中国系マフィアと、日本の暴力団の勢力がぶつかり合う、境目。
 当然警察も対応はおざなりになり、ビル裏などは無法地帯と化している。
 だから。
「是何赴去的气?」
(何処へ行く?)
 目の前に現れた、中国語を喋る男達に、小さく溜息をつく。
 この辺りを、我が物顔で仕切っている男達。
 名前は忘れたが、確か大したこともない軍団だったはず。
「是海神的店」
(海神の店だ)
 溜息混じりにそう言う。
 彼女の名を知らないのであれば、ここいらではモグリでしかない。
 その名を出した途端、男達の顔色が変わった。
 この街で名を馳せているマフィア達は、何よりも彼女を恐れている。
 そして、彼女に敵と見なされることは、死と同義語なのだ。
 階段を占拠していた男達は、すっと道を開けた。
「妖怪」
 化け物め。
 男の一人が、すれ違いざまに呟く。
 けれどもそれは言い得て妙だったので、翔燕は黙って階段を下りていった。
 その先にある店の、業務内容を悟らせない看板が見えてくる。
 『神靠近的海辺』
 神の寄る辺。
 それがその店の名だった。
 扉を開ける。
 そこには、白い服を着た髪の長い女がいた。
 通り名を、海神(はいしぇん)。
 胸元まで伸ばした黒い艶のある髪と、左右で目の色が違う瞳が印象的だった。
「やぁ海神、久しぶり」
「ああ、翔燕。暫く見ないが……何かあったのか?」
「まぁね。こっちも生きるために根を伸ばしてるんだ」
「お互い様だな」
「そうだね。今の世界は生き辛いよ。特に、僕達みたいな人じゃないものはね」
「まぁ、な」
 呟いて、海神と呼ばれる女性は顔の前で指を組んだ。
「何のようだ? お前がわざわざ、出向いてきたんだから」
 それなりの用事が在るのだろうと、彼女は言外に尋ねてきた。
 翔燕は扉に背を預けて、人差し指と中指を立てる。
 それと同時に、そこにCD‐ROMが現れた。
 音は、無かった。
「これについて、君が知ってることを、伝えてほしいんだ」
「誰に」
「神の不在を埋める者」
 笑いながら翔燕はそういった。
 海神は小さく肩を竦め、右手を伸ばす。 
 投げられたCD‐ROMは緩やかな放物線を描き、海神の手の中に落ちた。
「……陸人、か」
「そう」
「自分で行けば良いだろう」
「僕だっていろいろ大変なんだよ。特保に尻尾捕まれそうで」
「お前に限ってそれは無いだろ? それ言えば我等も危うい」
「君達三人は大丈夫さ。偽装したとはいえ、戸籍があるんだから」
「お前はまだ作っていなかったのか?」
「無いほうがいろいろと便利なんだよ」
「……まぁ、いいがな」
 海神は、小さく苦笑する。
「丁度退屈していた所だ。久しぶりに陸人に会うとしよう」
「そうそう、反則にならないように言っておくけど」
 翔燕は口元に笑みを浮かべながら言った。
 右端だけを器用にあげた、嘲るような笑みを。
「陸人の傍に、『アルビノ』が居るよ」
「……」
「陸人が自分で傍に置いてるのか、彼が来たのかは分からない。でも、伝えておく」
「……そう、か」
 首をかしげて、翔燕は海神の表情を盗み見た。
 彼女は、笑っていた。
 翔燕と同じように、唇の片方だけを吊り上げて。
「情報の受け渡しは地下鉄――これだけ言えば分かるよね?」
「ああ」
「まぁ、君の目に彼がどう映るのか知らないけどね」
「楽しそうだな、翔燕」
「まぁ楽しいよ? 彼はまだ人だし」
「……」
 海神が立ち上がる。
 紅と濃紺の目で翔燕を見つめ、
「楽しみにしておこう」 
 誰もいない空間に向けて、そういった。

           あとがき。
             実はこれ、038:地下鉄と繋がってます。
             試しにこういうのもやってみようかなと。
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