<地下鉄> いつも使う路線の、下を走る路線。 その路線のホームに立って、陸人は愚痴をこぼし続けていた。 家を出てからここまで、約十分間。 「あー空気汚い。淀んでる。だから地下鉄って嫌いなんだよ」 「じゃあ乗るな」 「乗らなきゃいけないの」 『三番線に電車が参ります』 アナウンスと共に、風を連れて地下鉄が入ってきた。 時間的な関係で、人は殆ど乗っていなかった。 地下鉄は、俺も好きじゃない。 一日中ついている黄色い電灯とか。 陸人が言ったとおり、濁った空気とか。 そういったものが、何故だか知らないが嫌悪感を募らせる。 扉が開く。 無言のまま、俺も陸人もそれに乗り込んだ。 入れ違いに制服姿の女子達とすれ違った。 修学旅行だろうか。 俺がそんなことを考えている間に、陸人はちゃっかり座席に座っていた。 俺もその隣に座る。 がたんと大きく揺れて、電車は走り出した。 首を動かして窓の外を見る。 車内が明るい所為で、窓からみえるのは黒い闇と車内の光だけだった。 時たま、上を走っていく電車が見えたりもする。 「でも、何でまた」 「そういう指定があったの」 少し不機嫌に陸人は言った。 珍しい、と思う。 俺はいまだに、コイツが怒ったところを見たことがない。 悲しんだり喜んだり泣いたり笑ったりした所は、何度も見た。 けれども怒ったところや――当然、今のように不機嫌なのも、見たことがなかった。 「……ツバメ?」 「ん」 返ってくる返事も短い。 確かに空気が濁っているがそこまで嫌うほどでもないと、俺は思う。 いや、確かに嫌いなんだが。 それでも、陸人の不機嫌な理由がいまいち掴めなかった。 「今回、そんなにヤバイのかなぁ」 呟かれた言葉。 それに含まれた不安も焦燥も俺は知っているから、何も言わなかった。 何も、言わなかった。 この車両には俺たちしか乗っていない。 何かおかしい。 幾ら時間帯とはいえ、地下鉄に誰も乗っていないってことがあるのだろうか。 隣の車両を見る。 いない。 反対の車両を見る。 いない。 誰も、いない。 「え……」 この電車には、俺と陸人しか乗っていないんじゃないか。 そう思い、立ち上がる寸前。 「好久」 女の声がした。 向かいの座席に、髪の長い、白い服を着た女が座っていた。 俯いているから表情は伺えない。 けれども、女の呟いた言葉はどう聴いても日本語ではなくて。 俺は、一瞬、誰に向けて言ってるのか分からなかった。 「隔了好久,海神」 隣で陸人が、幾分機嫌が直った声で言う。 女が顔を上げる。 右目は、黒かった。 いや、黒じゃない。 黒に近い濃紺。 左目は髪に隠れていて見えない。 「ああ、本当に」 女が言った。 今度は、日本語だった。 「まさかツバメが貴女まで引っ張ってくるとは思いませんでした」 陸人が苦笑を浮かべながら言う。 ばあさん以外に、奴が敬語を使うところを初めて見た。 「海神(はいしぇん)」 恐らく、女の名と思われる単語は、俺の聞きなれない言語のものだった。 「翔燕の得意ではない分野だっただけだ。通常の情報だけであればあれの方が詳しいだろう」 「それじゃあ、やっぱり?」 「黒系が関わっている」 「うっわー」 陸人が眉をひそめる。 自分でも眉間に皺が寄るのが分かった。 黒系? 翔燕? 海神? 訳が分からない。 「なるべく関わりたくないんだけどなぁ」 「分かっている。どのような物でも抜け道は在る。それを見つけれるか見つけれないかの違いだ」 「……ヒントは?」 「与えない」 「……相変わらず、ですね」 陸人がにこりと笑う。 女も小さく笑い、俺を見た。 さらりと髪が流れる。 隠れていた左目が露になる。 紅、かった。 見慣れた赤よりも鮮やかな紅が俺を見ていた。 唇が動く。 「まだ、留まっているか」 その意味を、俺は理解できなかった。 何処に? 何に? 誰が? 理解できない。 「陸人、これが奴らに対する『情報』だ。抜け道はお前が見つけろ」 「謝謝」 「不介意」 シェイシェイ。 その音で、二人が喋っている言葉が『中国語』だと理解できた。 女が、海神と呼ばれた女が、陸人に何かを手渡す。 陸人は笑った。 女も、笑った。 女が俺を見る。 赤い目と濃紺が笑っていた。 嘲笑っていた。 電車が止まり、扉が開く。 人が入ってくる。 先程までの空き具合が嘘のように、満員になる。 陸人が俺の手を取って立ち上がる。 人の波を器用に抜け、駅のホームにたつ。 窓の向こうに、女がいた。 唇の端を片方だけ吊り上げて、笑っていた。 地下鉄が発車する。 空気が淀んでいた。 空気が濁っていた。 早く此処から出たいと、俺はそう思った。 |
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あとがき。 035:髪の長い女とリンクしている話。 陸人と空は相変わらず。 |
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