Epilogo:Memento mori.

 人一人入った棺は予想以上に重くて、目的の場所に着いた時には手はぼろぼろになっていた。
 魔法を使うよりは目立たないだろうと、紐で引いてきたのがいけなかったようだ。
 暗緑色の髪と目を持つ少年は棺をその――木々が不自然に開けた、広場のような場所の中心に据える。
 小さく息を吐いてから、少年は踵を返して森の中に向かった。
 足元に落ちている、枯れ枝を拾っていく。
 日付が変われば、十一番目の月になる。
 例年であれば万聖祭の前祝で賑わっている筈のこの灰色の森も、今年ばかりはしんと静かだ。
 ――流行病。
 少年の頭にそんな言葉が浮かぶ。
 秋の始まりから流行りだしたそれで、この領地の半分が死んだ。
 少年の友達も、例に漏れなかった。
 彼らの顔を脳裏に浮かべながら、少年は枝を拾う。抱えきれなくなったら、広場へと戻る。
 少年は何度もそれを繰り返した。
 何度目かに広場へと戻ってきたとき、そこには顔が浮かんでいた。
 少年は暗緑を細める。
 そこに居たのは、人の形をした『何か』だった。
 顔が浮かんでいる、と思ったのはそれが上から下まで漆黒の衣装に身を包んでいるからだった。
「……迷子か、少年」
「誰アンタ」
 早足に棺に近寄り、少年は抱えていた枝を落とす。
 棺の周りに散らばったそれは、かなりの量だった。
「子供がこんな夜中に出歩くものではないぞ」
 良く見ると、人影は女のようだった。
 黒と銀が交じり合った髪の毛に、赤い目をしていた。
 ――そこでようやく、少年は人影と目を合わせた。
「……誰、アンタ」
「死神だ」
「ふぅん」
 大して気もなく呟いて、少年はくるりと人影に背を向ける。
「薪を集めているのか」
「見れば分かるだろ」
「何に使うんだ」
「自分で考えろ」
「なぁ」
「んだよ」
 うるせぇな、と忌々しげに振り返った少年に。
「燃やすのか?」
 赤は、何処までも透き通った目で訊ねた。
   それは全ての感情が抜け落ちたようにも、また無邪気な子供のようにも思えた。
 少年は必死に歯を噛み締め、拳を握り締める。
「埋めぬのか?」
「……だ、って」
 耳障りな呼吸音が、耳に付いた。
 ひゅうひゅうと、まるで風のような――何かが軋むような、そんな音。
「母さん、ずっと、縛られてた、から」
 大魔道士の職についてからずっと、彼女は誰かのために働いていた。
 そして時たま、空を見上げて呟いたのだ。
 「今頃あの人は何処に居るのかしら」
、と。
「死んでまで、ここに、縛られんのは……可哀想、だ」
 喉が奇妙に震えて、そんな言葉を紡ぐのに精一杯だった。
 死神と名乗った人影は一歩少年に近付き、それから空を仰いだ。
 満天の星と、満月。
「そうか」
 あの流行病にも困ったものだな、と人影は呟いた。
 それがなんだか奇妙に聞こえて、少年はゆっくり人影を見上げた。
 月を背負った彼女に――背筋が、凍る。
 いつの間にか、人影は身の丈ほどもあろうかという鎌を担いでいたのだ。
 「死神だ」
と彼女が紡いだ言葉が、今更のように現実味を帯びてくる。
「アンタ、何……」
「言ったろう、死神だ」
「俺も……殺すの?」
 透明な赤が、怪訝そうな色を浮かべて少年を見る。
 子供のようにも、何かが抜け落ちたようにも見える動作だった。
「殺さぬよ。私が殺すのは――流行病だ」
 言うが早いか、死神と名乗った女性は一歩を踏み出す。
 続いて、担いでいた鎌をすっと下ろした。
 右手で自身の身の丈ほどもある鎌を支え、左手をその柄に走らせる。
 そうして、くるりと舞った。
 少年の耳に届いたのはひゅ、という、空を切る音だけだった。
 それでも。
 少年は、何かが途絶えたのを肌で感じ取った。
 それは、少年の中に半分だけ流れる血によるものだった。
 死神の女性はその赤でベルンハルドを見、少し目を細めた。
 それが彼女の笑みなのだと気付くのに、ベルンハルドは数秒を要した。
「薪を集めるのを、手伝ってやろう――幼き禁忌よ」

 二人で集めた薪は、何時の間にか十二分な量になっていた。
 棺の周りにそれを積み、ベルンハルドはポケットからマッチを取り出す。
 夜闇に橙が灯り、少年の横顔を照らす。
 息を一つ吸い込み、ベルンハルドはそれを落とした。
 それと同時に足元を吹き抜ける風が、一気に火を強める。
 ぱちぱちと、木の枝が爆ぜる音が、やけに大きく聞こえた。
 亡骸から立ち上る煙は、真っ直ぐに月へと向かう。
 しばらくそれを見上げ――そうして、ベルンハルドはその場に座り込んだ。
 死神は、ただそれを見つめた。
「……かあ、さんは」
 ぽつり、と零された声は震えて、掠れていた。
「負担になるって、分かってて、俺を産んだんだ……」
 きゅう、と胸のあたりの服を抱きながら零すベルンハルド。
 傍目から見ても分かる程に、その肩は震えていた。
「弱った、からだっ……ずっと、大魔導士だからって、病気、散らしてっ……」
 そうして、病に蝕まれて命を落とした。
 体の至る所が黒ずみ、触れただけで崩れ落ちてしまう程に、蝕まれた。
「俺がッ……」
 今まで必死に堪えてきたものが溢れだしていくのをベルンハルドは感じた。
 必死にそれを抑えようとするが、一度弛んでしまった堰は中々元に戻らない。
「俺が死ねばよかったんだッ……! 禁忌の、俺が……」
 ぽたり、と落ちた雫が地面に染みを作る。
 押し殺した嗚咽は、しかし木が爆ぜる音よりも大きく辺りに響き渡る。
 疎まれて、いた。
 死を望まれてさえ、いた。
 片足の拘束が無ければ生きていけないこの体は、しかし纏う風によって流行病には罹らなかった。
「シルフェリウスの子、ベルンハルド」
 必死に嗚咽を殺そうとするベルンハルドに、只管静謐な声がかかる。
 びくりと肩を震わせて声のした方を見れば、同じ高さに赤があった。
 頬に、冷たい指が触れる。
「精霊の血を引くが故に死ねず、民が血を引くが故に死を望む者よ」
 正面から見つめてくる赤に、心の奥まで覗きこまれそうだった。
「死は万物全てに訪れる。民に限らず、事象でさえも」
 静かな夜に、透明な声が溶けていく。
 ベルンハルドはその赤から目を離す事が出来なかった。
「何時か、全てが死に絶える」
 歌でも歌うかのようなその言葉に、ぞくりと背筋が総毛立った。
 彼女の手が触れている部分から、体が凍っていくかのような錯覚さえ覚えた。
「故に『死』とは何かを考え、己が答えを見つけるが良い」
「俺の、答え……?」
「それを見つけた時、お前はきっと母親を理解できるだろうさ」
 細められる赤い双眸。
 笑ったのだ、と今度はすぐに分かった。
 音もなく立ち上がり、女性は空を見上げる。
 満点の星空と、望月。
 しんと静まり返った夜の空気は刃物のように鋭い。
「それは誰もが忘れがちなことではあるが、誰もに平等な物だ」
 黒と銀の二色の髪が、その動きに合わせてしゃらりと揺れた。
 少年は暗緑色の双眸で、それを見つめる。
 月光を受けた赤い瞳は、十番目の月の様に透き通っている。
「アンタ、も……?」
「ああ、私も何時か死ぬ」
 赤は、ただただ月を見上げている。
 ――まるで、帰るべき場所がそこであるかの様に。
 その光景を、少年は美しいと心の底からそう思った。
「だからこそ、私は生きてそれを迎える。忘れるな、ベルンハルド。
 死なぬ物など、何もない。何もないからこそ――」
 月から視線を少年に向けて、女性は微笑む。
「死を、想え」
 



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