13:全ては白銀の月へと帰す

 目的の人物は喧騒から離れたテラスにいて、道理で見つからない筈だとグリムゲルデは溜息を吐く。
 それから、黒いドレスの裾を持ちあげて、静かにそちらへと向かう。
 黒の正装に身を包んだ彼は、ワイングラス片手に月を見上げていた。
「……どしたん、ルーディ」
 何と声をかけようかグリムゲルデが迷っている矢先に、向こうから声がかけられる。
 驚きに目を見開いたのは一瞬で、静かに息を吐きながらその隣へと向かう。
「……珍しいですね、こんな、端にいるの」
 貴方ならパーティの真ん中がお好きでしょう? とグリムゲルデは問いかける。
 そこでようやく、ベルンハルドは振り返った。
 ――そこにはやはり、あのだらしのない笑みが浮かんでいた。
「だって、ねぇ。手放しで喜べないから」
 その笑みには、微かに悲哀が滲んでいて。
 グリムゲルデもつられるように、その青い双眸を伏せた。
 城で開かれているのは、『多頭』を退けた騎士団の慰労会だ。
 確かに、灰色の森の騎士団は『多頭』を退けた。
 その半分以上を殺し、首領の右腕を切り落とした。
 しかし――三人が命を落とし、五人が重傷を負った。
 それだけで済んだ、と喜ぶこともできたかもしれない。
 けれどもベルンハルドもグリムゲルデも、そうすることはできなかった。
「……それでも、貴方は一番の功労者の筈ですが」
「たまたまだよ。それに、体がまだ本調子じゃなくてね」
 肩を竦め、ベルンハルドは葡萄酒を一口嚥下する。
「本調子じゃない人間が、何故ワインなど口にしているのですか」
「や、そりゃあ……気分?」
 悪びれずに言う大魔導士に、若い騎士は溜息を一つ。
 それに苦笑して、そういえば、と彼は話題を変えた。
「珍しいね、そういう格好してるの」
「そう、でしょうか」
 グリムゲルデは自身の格好を見下ろす。
 黒を基調とした、けれどもレースを惜しまずに使ったドレス。
 細い腕に嵌められた手袋と、首を彩るチョーカーは、どちらも同じ色だ。
「……私は、騎士であると同時に貴族ですので」
「そっか、正装」
 頷けば、似合ってるよとベルンハルドは笑う。
 その言葉に息を吐いて、グリムゲルデは深く息を吸い込んだ。
「……先日、ようやく御妃様の言っていた言葉の意味が分かりました」
「うん」
「……多分、私には慢心があったんだと、思います。
 首から上を破壊されない限り死なないという、種族からくる驕りが」
「そう……今は?」
 ベルンハルドは暗緑色を細め、笑みの形で問うてくる。
 細く小さく息を吐き、グリムゲルデは視線を足元に落とす。
「――怖い、です」
「そっか」
 ぽん、と頭に手が置かれる。
 それは幼い頃よりも大きくなった、暖かい掌。
「そればっかりは、自分でちゃんと理解するしかないもんねぇ。
 ……それは、とっても大事なことだよ、ルーディ」
 手触りのよい金髪を撫でながら、ベルンハルドは笑みの形を変える。
 柔らかい、けれども何処か芯の在る笑みへ。
「それがどれだけの恐怖か知っているからこそ、守りたくなるだろう?」
「……ええ」
「それが分かれば、大丈夫。ルーディはいい騎士に慣れるよ」
 うん、とベルンハルドは笑う。
 その暗緑色に、とくんと心臓が音を立てた。
 それが目の前の青年に聞こえていないことを祈りつつ、グリムゲルデは目的のものを取り出す。
「あの、これ」
 それはあの時首に巻かれた、ベルンハルドのハンカチだった。
 灰色のそれには、所々赤黒く染みが浮かんでいる。
「洗ったんですけど、落ちなくて……」
「いいのに、捨てちゃっても」
「そういう訳にはいきません」
 少しむっとした顔をし、グリムゲルデはベルンハルドの手にそれを握らせる。
「……ありがとう、ございました」
 ぽつりと零された言葉に、ベルンハルドは相変わらずだと苦笑する。
 照れ屋で、その癖正義感の強い――若い女騎士。
 灰色の森の騎士団はきっと、この先も安泰だと思いながら。
「どうしたしまして、ルーディ。君が無事で何よりだよ。首の方は、平気?」
「はい」
 頷き、グリムゲルデは首筋に手を伸ばす。
 チョーカーの下にはまだ、赤い線が残っている。
「今はまだ残っていますが、痕も無く消えるそうです」
「それはよかった」
 女の子に傷が残っちゃ大変だからね、と笑うベルンハルド。
 その言葉に、グリムゲルデは微かに視線をそらした。
「あ、そう言えば今日はルーディって言っても――」
 さらの言葉を紡ぐベルンハルドの手を、取る。
 ぱちくりと瞬く暗緑色を余所に――グリムゲルデはそれをぎゅっと握った。
「ま……」
 口から出た言葉は、酷く震えている。
 顔が熱いのが、自分でも分かった。
「まけま、せんから」
 それでも――グリムゲルデは真っ直ぐにベルンハルドを見据えた。
「まけませんから――ベル」
 暗緑色の双眸が、真ん丸く見開かれる。
 それを見てから、くるりとグリムゲルデは踵を返した。
 裾がめくれ上がるの構わず、走り去る。
 僅か数秒の出来事に、ベルンハルドはただ目を瞬くだけだった。
 ハンカチを握ったままの手で、がりがりと後頭部をかく。
 それから、中天に浮かぶ月を見上げて。
「これは……イイ意味でとっていいのかなぁ」
 苦笑交じりの呟きを、秋風がさらっていく。
 頬に心地よいそれに、ベルンハルドは目を伏せた。
 彼女が首を刎ねられたのを見た時、体中の血が凍るかと思った。
 体の負担など考えずに飛んで、その首を抱きとめた。
(……リィ以外にも、ちゃんと、大切だって思えんだ……まだ)
 しみじみと、そう思う。
「……まぁ、いっか」
 そう零し、ワイングラスに残っていた赤い液体を一気に飲み干す。
 それからもう一度月を見上げ、彼はテラスを後にした。

 彼の呟きに答えるように、ひゅうと、風が吹き抜けた。
 



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