01:灰色の森の大魔導士

「あ」
 声を上げて、初めてベルンハルドは自分が寝ていたことに気付いた。
 天井と高い書架との間、彼しか来ることのない空間。
 ポケットから懐中時計を取り出せばとうに日は昇っていて、面倒臭そうに溜息を吐く。
 調べ物をしている内に眠ってしまったらしい。
 けれども書架の下からは眠りに就く前と変わらずに人の気配がしていて、
 ベルンハルドは別の意味で溜息を吐いた。
 魔導士(マーリン)。
 他の種族との交流を極力好む彼等は、時間に拘らない。
 昼も夜も関係なく知識を増やし、魔法を磨く。
 時計を持つのは積極的に外へと出ていくベルンハルド位だった。
 さて、と今日の予定を頭の中で再生すれば、足元から声が聞こえた。
 声を抑えた、内緒話。
 それが聞こえたのは自分の中の『半分』が理由であり、特に気にすることも無かった。
「全く……ベルンハルド様にも困ったものだ」
「また部屋に居られないのか?」
「ああ……あの御方は、大魔導士の責務と言うものを分かっておられない」
「仕方あるまいて、彼方は未だ二十と少しを経たばかりだ」
「……二十と少しを経ただけで、あの魔力、か……」
「それも仕方あるまい。なんせあの御方は」
 そこまで聞いて、三度目の溜息を吐くベルンハルド。
 それもとうに聞き飽きたものであった。
「はいはーい、なーんか御用?」
 書架の上から身を乗り出し、下の二人に声をかける。
 そこには枯れ木と見間違うような老人が二人。
(ああ……)
 それは嫉妬か羨望か。
 気まずそうな顔をする彼等に笑いかけ、枕代わりにしていた古い書物を腕に抱く。
 そのまま、何でもないかのようにそこから飛び降りた。
 次第に増していく速度など何でもないかのように、ベルンハルドは床に着地した。
「何か御用? ごめんねー俺昨日あのまま寝ちゃったみたいでさ」
 あはは、と笑いながら、持っていた本の空中に押し出す。
 それは意思を持っているかのように空中を動き、元あった場所に収まった。
 口を魚のように動かす二人に、ベルンハルドは満面の笑みを向ける。
「きょ、今日のご予定は……」
「覚えてるよ。騎士団の視察」
 青褪めていく彼等を内心で笑い、ベルンハルドは殊更に明るい声を出す。
 そのまま指を鳴らせば、何処からともなくローブが現れる。
 普段身に纏っている、黒に近い暗緑色のローブ。
 髪よりも目よりも尚暗い色のそれを纏って、くるりと踵を返す。
 それと同時に、慌てたような声で「ベルンハルド様」と名を呼ばれた。
 振り返り、彼等が弁解の言葉を紡ぐよりも早く、笑う。
「いってきまーっすっ」
 今度は何も聞かずに、ただ書庫を後にした。

 ベルンハルド=シルフェリウス・フォレスマグァート。
 灰色の森(グラオヴァルト)の大魔導士にして――禁忌とされる精霊種とのハーフである。



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