02:灰色の森の女騎士

 灰色の森には周辺諸国に名の知れ渡った騎士団がある。
 東西南北、交通の要となる灰色の森を、守り続ける腕利き達を治めるのは一人の女性だ。
 エルダ・フォン・アコノール=グラオヴァルキュリア。
 灰色の森の戦女神(グラオヴァルキュリア)の名を授かった彼女を筆頭として、灰色の森の騎士団には女性が多い。
 グリムゲルデ・フォン・アコノールもその中の一人であった。
 略装鎧を身につけ、領主から直々に授かった剣を腰に差す。
 見事なまでの金髪は肩口で切り揃えられており、その青い双眸は眼光鋭い。
 鎧の不具合が無いことを確かめてから、更衣室の扉へと向かう。
 今日は大魔導士による、騎士団の視察の日だった。
(……魔導士達に、何が分かるというのだ)
 己の力ではなく魔法を主とする彼等を、グリムゲルデは好いてはいなかった。
 何より今日来るという大魔導士は、一年前まで奔放していた身の上だ。
 溜息を一つ吐いて扉を開ければ、そこには暗緑色が在った。
「あ、ルーディだ」
「……グリムゲルデです、大魔導士殿」
「だーから昔みたいにベルで良いってば。堅苦しいなぁ」
 にへら、と情けない笑みを浮かべる青年が大魔導士かと思うと、グリムゲルデは腸が煮えくり返る思いだった。
「いいじゃん、グリムゲルデだからルーディ」
「貴殿は名前を略し過ぎなのです。良いですか、名前と言うものは即ち誇りに繋がる物です。
 それを軽々しく略すなど――」
「そうかなぁ、愛称の方が何か親しいカンジするけど」
「それ以前に相応の敬意を払ってください。  
全く貴殿の様な方が、どうして大魔導士など務めているのですかっ」
「そりゃ、生きてる魔導士の中で一番魔力が強いからでしょ?」
 笑いながら隣に並ぶベルンハルドに、グリムゲルデは眉根を寄せる。
 頭一つ分高い大魔導士は相変わらず笑ったままだ。
「どうしてついてくるのですか」
「同じ方向に用事があるからだと思うにゃー」
「どうせ視察などお飾りでしょう? 早々に立ち去ればいい」
「……ねぇルーディ、人が嫌いって態度はそんなにはっきり出さない方がいいよ。損する」
「損などっ」
 勢い良く吐き捨てて、グリムゲルデはベルンハルドを睨みつける。
 青い怒りを受ける暗緑色は、何も色を変えない。
「貴殿の様な軟弱な方に言われたくありません!」
 朝の石造りの王城に、その声が何度も響いて消える。
 しかし音量に対して、青年は軽く肩を竦めただけだった。
 その反応すら、グリムゲルデの苛立ちを煽るには十分だった。
「そもそも、大魔導士ともあろう方が十年も土地を離れるとはどういう了見ですか!?
 貴殿には大魔導士としての自覚が――」
「グリムゲルデ」
 上擦った声に被さったのは、落ち付いた低い声。
 一方は弾かれたように、もう一方はゆっくりとそちらを見れば、
 グリムゲルデに似た女性が廊下の向こうから近付いてきている。
 グリムゲルデが身に着けているのと同じ略装鎧を身につけた、背の高い女性。
 びくりと佇まいを直すグリムゲルデとは対照的に、ベルンハルドは軽く手を挙げただけだった。
「はろーエルダさん」
「大魔導士殿ッ!」
「あーいいいい、騒ぐなグリムゲルデ。それから、相変わらずだなベル」
「団長殿……」
「何たる様だグリムゲルデ? 騎士たる者、常に冷静たれと教えた筈だろう」
「……す、すみません、団長殿……」
 でも、と顔を上げるグリムゲルデは年相応の幼さを含んでいて、
 ベルンハルドは浮かんだ苦笑を噛み殺した。
 騎士団最年少の少女は、騎士団長である母親に頭が上がらない。
 そこにあるのは尊敬ではなく、最早崇拝に近い。
「……大魔導士殿でも、団長殿に礼儀を払わないのは如何なものかと……」
「一介の騎士と大魔導士じゃ、大魔導士の方が地位は上だ。
 逆に『大魔導士殿』がここまで接してくれていることに、感謝せねばなるまい」
「……はい」
 俯いてしまうグリムゲルデに、ベルンハルドは笑いを噛み殺すので必死だ。
 騎士団長は小さく息を吐き、それから少女に「二番隊はもう揃ってる」と告げる。
 その言葉に走り出した彼女の背中に、ベルンハルドは堪らずその場に座り込んだ。
「相ッ変らずだねぇ、ルーディは」
「……全く。誰に似たんだか頭が固くて困ってるよ」
「ヴォータンさんじゃないの?」
「ウチの旦那があんなに頭固いと思うのかい?」
「……真逆だね」
 くすくすと笑うベルンハルドに、エルダも表情を和らげる。
 このデュラハンの貴族であるアコノール家とベルンハルドは、
 幼い頃から家族ぐるみの付き合いがあるのだ。
 それ故にエルダはベルンハルドを実の息子の様に扱い、ベルンハルドもまたグリムゲルデを妹の様に扱っているのだが――
「若い身空であんまりガチガチなのも困ると思うんだよね、俺は」
「同意見だ。ただでさえ、異例の入団だったというのにな」
「……許可したんでしょ? エルダさん」
「許可せざるを得なかったんだよ。アイツ、ヴォータンまで抱きこんできやがって」
 心底苦り切った表情を浮かべるエルダに、ベルンハルドは苦笑を一つ。
 諸国に名を轟かせる女傑が、実は大層な愛夫家であると知っている人間はそうそういない。
 相変わらずだなぁ、と呟いて、ベルンハルドはエルダの青を正面から見据えた。
「それで、俺を呼んだ理由は何?」
「何しらばっくれてやがる、今まで再三の召集にも関わらず来なかった阿呆が」
「リィにいい加減行けと脅されたんだよ、今回は」
「そりゃそうだ、私が領主殿に圧力かけたからな」
「……うわーエルダさん腹黒ーい」
「当然だろう?」
 くすくすと笑うベルンハルドに、エルダはにぃと口角を吊り上げた。
 腰に差した両刃剣に手をかけ、視線を上げる。
 その先には、広場に集まった騎士団と城壁。
 さらにその向こうには――灰色の森の、城下町がある。
「騎士団(私達)も魔導士(お前達)も、在る理由は同じなのだから」



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