06:空色の誇りは己を縛る鎖と成る

「ルーディ」
 石畳の廊下をどんどん進んでいくグリムゲルデに、ベルンハルドは声をかける。
 足は止まったものの、彼女の青はベルンハルドを見ない。
「……満足、ですか」
 耳の届いた声は、酷く震えていた。
 怒りか、それとも悔しさか。
 それを推し量る術を、ベルンハルドは持っていない。
「皆の前で私に恥をかかせて、満足ですか!?」
「……誤解だよ、ルーディ。
 ナナちゃんに来てもらったのは、俺よりも適任だって思ったから。それに」
 突っかかって行ったのはルーディでしょ、とまでは流石に口に出さない。
 代わりに、小さく息を吐いて。
「ルーディは、何で、ナナちゃんに突っかかるの?」
「何で、って……」
 少し困惑した色の声に、ベルンハルドは目元を細めて続ける。
 細めた所為で光の入らなくなった双眸は、暗い。
「ナナちゃんイイヒトじゃん。そこまで突っかかる必要な」
「彼女は!」  石畳に反響する高い声。
 それは、ベルンハルドにもはっきり分かるほど、悲痛な声だった。
「彼女はッ……外様の者です!!」
 声を張り上げるグリムゲルデに、ベルンハルドは目を瞬かせる。
 数秒の沈黙が、二人の間に落ちた。
「そりゃ……そうだけどさ」
「あの様な外様に頼ってどうするのです!? 自分達の土地は、自分達で守るべきです!!」
「まぁ、ルーディの言ってることも分かるよ? でも、今やナナちゃんはこの土地の民だ」
「……本当に、そう思っているのですか……?」
 グリムゲルデは手を握りしめる。略装鎧が、かちゃりと音を立てた。
 ふるふると、握りしめた拳が震えている。
「あのようなバケモノが、本当に!?」
「……グリムゲルデ」
 低くなった声に、グリムゲルデは肩を跳ねさせる。
 反射的に振り返った、その視線の先に居る大魔導士の顔に――表情は、無かった。
 いつもの様な笑顔でも、たまに見せる真剣な顔でもない、虚無。
 言葉を失うグリムゲルデに、ベルンハルドはそのまま。
「――それは、言っちゃ駄目だ」
 静かに、そう言った。
 それは大きくはなかったけれども、風に乗ってグリムゲルデの耳まで届いた。
「なっ……」
「それは、言っちゃいけないよ、ルーディ。それは俺も君も、散々言われてきただろう?」
 そこでようやくベルンハルドは笑ったが、その笑顔は泣きだす寸前のように見えた。
「種族の違いを、バケモノだなんて、言っちゃいけないんだ」
 それは、確かに何度も言われてきた言葉だった。
 デュラハンだから、若くして騎士団に入れたのだと。
 デュラハンだから、若くして王城騎士団の二番隊に入れたのだと。
 ――バケモノだから、若くして騎士団に入れたのだと。
 その言葉が、努力も痛みもかき消してしまうことを、グリムゲルデは十二分に知っていた。
 けれども、それを言わずにはいられなかった。
 甲冑が悲鳴を上げるほど強く、グリムゲルデは手を握りしめる。
「それでもっ……」
 グリムゲルデはナナカが嫌いだった。
「……火竜を一人で倒してしまうなど」
 一年前の、あの日のことを未だに覚えている。
「千切れた腕が、また生えてくるなど」
 目の前には巨大な火竜。
 その大きさと力に、剣を抱えたまま何もできなかった自分を、覚えている。
「……バケモノ以外のなんだと、言うのですか」
「ルーディ」
 困ったようにベルンハルドが名前を呼ぶ。
 その呼び方が、グリムゲルデは好きではなった。
 ――弱くて仕方が無かった幼い頃を思い出させるから。
「火竜を一人で倒してしまう、御妃様がいるのなら」
 その暴力に、怯えることなく向かっていた小柄な背中を、覚えている。
「私達にとっての致命傷でさえ、彼女が恐れないというのなら」
 真っ赤に染まった背中が、痛々しかったのを覚えている。
 そんな彼女を抱き締める、領主の悲痛な背中を覚えている。
 そして何より――何もできなかったみっともない自分を、覚えている。
「――私達は何の為に居るというのですかッ……」
 震えて掠れたその声に、ベルンハルドは目を見開いた。
 じっとこちらを見据える青が、潤んでいた。
 それは、幼い頃に見たのとなんら変わらない、泣きだす寸前の表情。
 ――そして、帰ってきてからは一度も見たことのない表情だった。
「彼女がいるなら、私達の意味が揺らぐじゃないですかッ!!」
 腹の底からそう叫んで、グリムゲルデは踵を返す。
 そのまま走っていく背中を、今度こそベルンハルドは追いかけれなかった。
 揺れる金と、略装鎧を纏った背中を、ただ見詰める。
 彼女が持つ誇りが故に、それが重荷となっている。
 ぺしりと額に手を当てて、ベルンハルドは小さく笑った。
「あーあ」
 ――心底、困りきった表情で。  



BACK     TOP     NEXT