07:琥珀色に染まる過去に手は届かず

 中庭のテーブルに座って、ナナカは人を待っていた。
 愛しい旦那様はこのお茶会に反対だったが、それでもナナカはそれを押し通した。
 ひゅう、と耳が風を拾う。
 静かに目を開けば――テーブルを挟んだ向こうに、年若き大魔導士の姿が在った。
「こんにちわ、ベル」
「こんにちわ、ナナちゃん」
 にこり、と笑えば、よく似た形の笑みが返ってくる。
 椅子を勧めれば、暗緑色を纏う青年は少し困ったような顔をした。
「お気遣いは嬉しいんだけど、俺ナナちゃんの半径二メートル以内に近寄れないんだよねぇ」
「イオリが?」
「そう。もうあん時のリィったら、本気で俺を殺す気だったね」
 肩を竦めるベルンハルドに、ナナカはくすくすと笑いを零す。
 ――騎士団の一件が領主に露見し、彼に呼び出されたベルンハルドは彼に文字通り『殺されかけた』。
 据わった目で「ナナカに近寄るな」と言い放った彼は、今までナナカが見たことが無いほどだった。
「大丈夫よ。もうイオリも怒ってないわ」
「……だと、いーんだけどねぇ」
 そう言いながら、ベルンハルドはナナカの対面に腰を降ろす。
 そうして顔の前で指を組み、「それで」と子供の様に笑って見せた。
「わざわざ俺を呼んだのはどーして?」
「この間のことで、ちょっとね」
 紅茶ポットを手に立ち上がろうとするナナカを、ベルンハルドは視線で制す。
 そうして指を鳴らせば、ふわりと白磁が宙に浮かんだ。
 自分の目の前のティーカップに注がれる琥珀色に、ナナカはふわりと笑った。
「ありがと」
「どーいたしまして」
 自分の分のティーカップを口元に運び、ベルンハルドは暗緑色をナナカに向ける。
 沈黙は数秒。
「この間あたしを呼んだ建前は、何となくわかったんだけどね、ベル」
 先に口を開いたのは、ナナカだった。
 光の当たり具合によって色を変える瞳が、暗緑色を捉える。
「ホントの所は、違うんでしょ?」
「……お見通しデスカ」
「伊達に長く生きてないわ」
 にこり、と笑うナナカに、溜息を零すベルンハルド。
 その暗緑色を宙に向けて、考えること数秒。
「……敵わないなぁ」
 困ったような呟きに、ナナカはにこりと笑った。
 その笑顔に、苦笑しながらベルンハルドは頬杖をつく。
「まぁ建前、ってワケじゃないんだよねぇ。アレも本音」
 ただ全部を言ってたわけじゃないよ、と。
 そう言って、ベルンハルドは紅茶を嚥下する。
「此処の騎士団の人達は腕利きだけど、あまり世界を知ってる人はいないからね。
 でも大半は、ナナちゃんの話を分かってくれたみたいだし?」
「そうね。でも――あの、金髪の子みたいなのも、居たわよね?」
「今日のナナちゃんは、なんだか意地悪だなぁ」
「あら、この間のことを考えれば当然だわ」
「はーいはい」
 肩を竦めて、ベルンハルドは暗緑色を閉じる。
 瞼の裏に浮かぶのは、今にも泣きだしそうだった少女の顔。
「ルーディでしょ? まぁ、世界が見えてない癖にプライドだけは高いからね、あの子」
「仲良いの?」
「親同士が知り合いでね。一応幼馴染になるんだろうけど、七つ離れてるからなぁ」
「ふぅん……お兄ちゃんみたいなカンジかしら?」
「まぁそんなトコ」
 にしし、と笑って指を鳴らせば、二人の丁度真ん中にあったスコーンが一つ宙に浮く。
 林檎のジャムをたっぷりと乗せて、ベルンハルドはそれにかぶりついた。
 もきゅもきゅと動く頬を見て、ナナカもそれに手を伸ばす。
「今更だけど、あの子も悪気があって言った訳じゃないんだよ」
「分かってるわ。目がね、凄い真っ直ぐだったから」
 クロデットクリームと林檎のジャムをたっぷりと乗せて、ナナカはスコーンを咀嚼する。
 彼女の言葉に安堵の笑みを浮かべ、ベルンハルドは紅茶をまた嚥下した。
「でもねベル――あの子のあの目は、危険だわ」
「……知ってるよ」
「真っ直ぐ過ぎて、逆に脆くなってる」
「知ってる、よ」
 ベルンハルドは手元のティーカップに視線を落とす。
 幼い頃から、正義感が強かった。
 その強さが、疎ましかった時もあった。
 けれども――あそこまで固まってしまうとは、思っても、みなかった。
「小さい時から騎士に憧れてて、今も騎士であることに誇りを持ってる。
 ……だからこその、あの言葉なんだろうけど」
「『死など怖くない』?」
「そ」
 肩を竦めれば、ナナカは笑みを苦いものにへと変えた。
 彼女が言ったのは腕に自信を持ち、けれども死の恐怖を知らない者しか言えない言葉だ。
「……彼女は、確か、デュラハンだったわよね?」
「そう――首を刎ねられても、心臓を貫かれても死なない。頭を見る影もなく壊されない限り。
 ……でもね、ナナちゃん」
 ベルンハルドは紅茶から視線をあげ、真っ直ぐにナナカを見つめる。
 笑いを含まない暗緑色に、ナナカは少しだけ、その黒い双眸を見張った。
「俺が知ってるデュラハンはみーんな、そこで途切れた方がマシだって言うよ」
「……そうね。それは、『当然』だわ」
 ナナカは小さく肩を竦め、それから笑いを乗せた視線で青年を見る。
 ひゅう、と秋の風が足元を駆け抜けていった。
 ああ、とぼんやりベルンハルドは思う。
 もうすぐ、十番目の月も終わるな、と。
「でも……死から遠い生き物ほど、それを忘れがちなのよね」
「……ナナちゃん、とか?」
「ヒト、とかね」
 少女が浮かべた笑みは複雑なもので、聞いてはいけなかったかな、とベルンハルドは頬をかいた。
 特殊な体質を持つ彼女が、それと縁遠かったはずがないのだ。
「ベルは、どうだった?」
「俺?」
「そう」
 その言葉に、別の意味でベルンハルドは頬をかいた。
 風の精霊(シルフ)と魔導士(マーリン)のハーフであるベルンハルド。
 ヒト程ではないが――死は、遠いものであった。
「俺は……ルーディとは別の意味で、嫌なガキだったね」
「ふぅん?」
「……死にたがり、だったよ」
 押し込めた筈の感情が競り上がってきて、ベルンハルドは目を閉じた。
 頭を撫でる母の手を、名前を呼ぶ幼馴染の声を、今も鮮明に思い出すことが出来る。
 ――けれどもそれら全てを振り切って、死にたかったのを、覚えている。
「まぁ今は違うけどね」
 あはは、と笑った言葉に、返答はない。
 視線をナナカの方に向け、けれども決して彼女とは目を合わせずに、ベルンハルドは続ける。
「疎まれてるのも、出来る事なら死を望まれてるのも知ってる。
 ――でも、俺は、死ぬのが怖いよ」
「そうなった、理由を聞いても?」
「……死神にあったんだよねぇ。ガキの頃にさ」
「……あぁ、それはそうね」
 ナナカは立ち上がり、自分のティーカップに紅茶を注ぐ。
 どう? と首を傾げられたので、ベルンハルドはその言葉に甘えることにした。
 湯気を立てながら注がれる琥珀色の液体に、暗緑色を向ける。
「死は常世も常夜も関係なく平等な、絶対のものだ。だから誰もがそれを恐れる。
 ……いつか来るものだからこそ、俺はそれが穏やかなものであればいいと思うよ」
 そして出来るならルーディにそれを知ってほしい、と。
 微笑みながら紡いだ言葉は、妹を心配する兄のそれだった。
 初めて見るその表情に、ナナカも頬を緩ませる。
「そうね。それが出来たなら――あの子はきっと、いい騎士になるわ」
「ん、俺もそう思うよ」
 紅茶を受け取って、ベルンハルドはそれを口に運ぶ。
「でも、あと何年かかるか分からないけどね」
 しみじみ呟かれたその言葉に、年若き大魔導士はただ苦笑するしかできなかった。  



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