08:灰を背負う領主は決断を下す ナナカと別れ、ベルンハルドはさて、と空を見上げる。 そうして口の中で言葉を紡ぎ、その暗緑色を伏せた。 ひゅう、と風邪が耳を駆け抜ける。 目を開ければ、そこはもう謁見の間だった。 「はろはろー、リィ」 そこにいた幼馴染に軽く手を上げれば、紅が浮かべるのは温度の低い一瞥だ。 イェーオリ=ハーラルト・ストリンドベルィ・グラオヴァルティウス。 この地を治めるヴァンパイアの青年は、妻とベルンハルドが仲良くすることを好いていない。 「楽しかったか?」 「やー楽しかったっちゃ楽しかったけどねェ」 含み笑いをしながら、ベルはイェーオリの紅を見据える。 「風が五月蝿くて煩くて、話半分だったよ」 そろそろリィにも報告来てんじゃない? と言えば、イェーオリは深く溜息を吐いた。 それから黒衣を翻し、足音を響かせて奥へと向かう。 「……間違いない、んだな?」 「間違えるはずが無いよ。あんだけ血腥くて鬱陶しい空気なんて」 その後に続きながら、ベルンハルドは笑いを含んだ声で答える。 半分だけ流れる精霊の血は、風から情報を読み取ることを可能としているのだ。 煩い、と彼は笑いながら言うが、それは相当なものではないのか、と。 イェーオリは一度だけベルンハルドを振りかえり、それから目の前の扉を押した。 謁見の間から続くのは、円卓の置かれた会議室。 そこに騎士団幹部の顔を見、ベルンハルドは気まずそうに頬をかいた。 「『呼ばれてる』のは知ってたけど、俺が一番最後デスカ」 「まぁ仕方ないさ。御妃様とデートだったんだろう?」 「そー。もーイチャイチャラブラブしてきましたよー」 笑うエルダにベルンハルドが言葉を返せば、紅はきっと二人を睨む。 肩を竦めるエルダと、苦笑を浮かべるベルンハルド。 何処か似た二人に溜息を吐き、イェーオリは自身の席に腰をおろした。 「先月、銀白の雪原(ズィルバワイゼン・シュネーゲビート)が『多頭』に襲われたのは皆知っていると思う」 その場にいる全員が、頷く。 『多頭』(リューズ)。 それはゴルゴンからなる盗賊集団の名だ。 三十人程度の人数から成り、各地に現れては食料を奪い、暴虐の限りを尽くしていく。 一説に因れば北方のとある国民が、餓えに耐えかね南下してくるというが――確かではない。 「南下が続いているという話だったが――」 そこで言葉を切り、イェーオリはベルンハルドを見た。 紅と暗緑色が交錯するのは一瞬。 立ったままだったベルンハルドは、円卓に腰かける騎士団幹部にそれを向ける。 「奴等はこの、灰色の森に向かっている」 ざわり、と空気がざわめいた。 そんな中で、ベルンハルドは静かにエルダを見やる。 「『多頭』が前にやってきたのは、二十年前だったよね? 騎士団長」 「相違無い、大魔導士殿」 頷いたエルダの双眸は、酷く深い色を湛えている。 「二十年前、我等が騎士団が首領の首を討って以来、一度たりとも近付いてはいない」 「……何故、今になって」 呟いたのは若い領主だ。 顔の前で指を組み、俯きかけている紅。 その重たげな肩に溜息を吐き、ベルンハルドは言葉を紡ぐ。 「去年、この森は火竜に襲われた。それが伝わってるんデショ。 ――向こうさんは、騎士団が疲弊してると思ってるのかもしれない」 それは間違いだ、とベルンハルドは内心零す。 火竜を倒したのは騎士団ではなく、たった一人の外様の少女だったのだから。 「『多頭』がそう思っているのなら好都合であろう」 「たかだが三十名、我等の敵には成り得ない!」 「しかし、年を経たゴルゴンは怪しげな術を使う」 「ああ、二十年前もそれで多数の死者が出た」 「けれどもそれを恐れては、騎士団に何の意味がある?」 「そうだ。それに術を使うゴルゴンはいないかもしれないじゃないか」 「ゴルゴン以外が混じっているという可能性は?」 「無いだろう。同族でなければあの術に対する耐性はない」 「北の民は避難させた方が、いいんじゃないかな」 「確かに……万が一、ということもあり得る」 騎士団員が各々の意見を口にする中、彼等を統べる女性は静かに領主を見つめる。 「――どうする、領主殿」 「……去年焼けた畑は、まだ戻り切っていない。天候に恵まれたとは言え、今年の冬に余裕はない。外様の者にやる小麦など、ない」 顔を上げ、イェーオリははっきりと言う。その紅は、揺るがない。 「――鏖(みなごろ)せ」 はっきりと告げられた言葉に、その場にいる全員が笑みを深くする。 「御意」 騎士団員は立ち上がり、腰に差した剣を顔の前に掲げる。 「了解」 大魔導士は胸に手を当て、恭しく一礼をする。 その際に、イェーオリの双眸に陰りをみた。けれども彼は、それを少しも感じさせない声を出す。 「騎士団員は戦闘に備えてくれ。ベル、『多頭』はどれくらいで国境に?」 「三日ってトコ」 「だそうだ。皆――覚悟しておいてくれ」 帰ってくるのは「御意」の一言。 その陰で小さく吐かれた溜息を、ベルンハルドは聞き逃さなかった。 騎士団員達が部屋を後にしてから、ベルンハルドは静かにイェーオリに近付く。 先程とは違い、彼は俯いていた。 「……浮かない顔だね」 「……って」 「ん?」 ベルンハルドでも聞き取れない、小さな声。 円卓に寄り掛かるようにしゃがみこめば、紅がくしゃりと歪む。 「まちがって、ないよな」 震えて、掠れた声。 (ああ) そうか、とベルンハルドは暗緑色を眇める。 前に『多頭』が来たのは先々代の時代。彼が実際目にした、先代の治世は平和そのものだった。 (……リィにも、ナナちゃんにも、血腥いのは似合わないよなぁ) 「間違ってないよ。領主が民を一番に考えるのは当然だろう?」 ぽん、とその金髪に手を置いて、ベルンハルドは幼い子供に向けるような笑みを浮かべる。 「いいんだよ。リィが気に病む必要は何処にもない。 ――全部、俺達が片付けるから」 その笑みは、紛れもなく肉食獣のそれだった。 |