10:其が巻き上げる穂は金色に翻り

 すう、とベルンハルドは息を吸い込む。
 体の中で、何か――感覚としては風――が渦巻いている。
 静かに、でも確かに――体の中に半分だけ流れる血が、小さな言葉を紡いでいる。
 小さく、小さく、聞き取れないほどに、小さく。
 その感覚に小さく笑みを浮かべ、頭の中にイメージを描く。
 緑を纏った、鋭い旋風(かまいたち)。
 そのイメージを練り上げながら、すっと腕を伸ばす。
 掌が向かうのは、こちらを見て笑いを浮かべている『多頭(リューズ)』達。
 吸い込んだ息と共にイメージを開放すれば、黄金の麦穂を裂いて旋風が走る。
 魔力によって練り上げられ、『切り裂く』という意思を付加されたその風は、最前列にいたゴルゴン達に赤を纏わせる。
 だが――それでも多くのゴルゴンが、五体を保ったままだった。
 うーん、とベルンハルドは苦笑を浮かべる。
 そうしてくるりと、後ろに控えていた騎士団に笑いかけた。
「やっぱり、呪術耐性が強いのばっか来てるね。それに、数も多い」
「同じ轍は踏まない、ということか……」
 返すエルダの表情は硬い。
 魔法や術が使えるものは、それ等に対して耐性をも同時に持つ。
 ベルンハルドの魔法で死んだのは、おおよそ四分の一。
 ――残っているものは、まず間違いなく石化が使えるのだ。
 そんなエルダに、ベルンハルドはにへらと笑いかける。
「そんな顔しないでよ、エルダさん。これも予想の範疇内。
 ――だからナナちゃんに来てもらったんだから」
 ね、と笑いかければ、ナナカも同じように笑みを返す。
 もっとも、その隣にいるイェーオリは不服そうだが。
 「ナナカを戦場に連れ出すというのならまずお前から殺してやる」、と。
 先程地を這うような声と共に首を絞められたのを思い出し、ベルンハルドは肩を竦めた。
 けれども彼がそれを許したのは、愛する妻の説得があったからだ。
 ヒトは、魔導士やゴルゴンとはまた違った術を使うことができる。
 ナナカはあまりそれが得意ではないが――上手く行ったなら、ゴルゴンの厄介な術を封じることができるのだ。
 それにより、一年前彼女は火竜の息吹を封じた。
 ベルンハルドはそれを直接見たことがなかったが、話によって大丈夫だと確信していた。
「ナナちゃん、準備はオーケィ?」
「疾うに。よろしくね、ベル」
「オーライオーライ。これが終わったらさ、皆で美味しい物食べようね」
 その発言を聞きつけた騎士団の何人かは眉根を寄せる。
 けれどもベルハルドは構わずに、心底楽しそうな声と顔で続ける。
「多分リィがさ、城のいいワイン出してくれるし、今年は小麦も美味しいしね。
 ――生きて帰って、皆で馬鹿騒ぎしようよ」
 続いた言葉に、眉根を寄せた騎士団員達も小さく笑う。
 ただ一人――グリムゲルデを除いては。
 そんな少女に小さく苦笑し、ベルンハルドはすっと目を閉じた。
 体の中で渦巻く何か。
 血潮とも、風とも取れるそれに、呼び掛ける。
風よ風よ渦巻く者よ(ウェイド・ウェイド・プレンドシィ)
 大抵の魔法は、言葉を紡がずともベルンハルドは顕現させることが出来る。
 言葉を重ねるのは――巨大な術を使う時だけだ。
我が意に従いて今一時我に力を貸し給え(リソリヴァラ・アビリマテカムリ・バシオディ・ウム・プリンシペリアレ・コンディギアナ・ミオ・インテンジオネ)
 風よ風よ自由に生きる者よ(ウェイド・ウェイド・フレーディルドシィ)
 我が意に従いて我が敵を滅せ(リソリヴァラ・マレディゾネアッサ・シャッパーナ・コンディギアナ・ミオ・インテンジオネ)
 ひゅう、と秋の冷たさを纏った風がベルンハルドを中心として渦巻いていく。
 彼等とゴルゴンの間に横たわる麦がそれに揺れ、金をなびかせる。
我は風を司る者、シルフの血を引く者(イ・ソオ・プレソナ・シ・プレシデレ・スペリオーレ・イル・ヴェイド、シ・エセーレ・ディセンダンテ・イル・サングエ・ジ・シルフ)
 我は風と遊ぶ者、シルフェリウスの子(イ・ソオ・プレソナ・シ・コメディア・コン・イル・ヴェイド、イ・ソオ・バンビアーノ・ディ・シルフェリウス)
 言葉が紡がれるごとに、風は強さを増していく。
 ふわりと黒色のローブの裾が、暗緑色の髪が、浮き上がる。
 体内で限界近くまで渦巻く『力』に、息苦しささえ覚えた。
風よ風よ渦巻く者よ(ウェイド・ウェイド・プレンドシィ)
 我が意に従いて厄災を祓い給え(リソリヴァラ・トージレ・イル・セコンド・ヴァルダーナ・コンディギアス・ミオ・インテンジオネ)
 我が意に従いて彼女の声を届け給え(リソリヴァラ・イ・ソオ・コンセグナーレ・ヴォー・ラ・パッレダーナ)
 けれどもベルンハルドは詠唱を止めない。
 それが自分の役目であり――何より自分の意思であったからだ。
 きしきしと、骨が、肉が悲鳴を上げる。
 魔法に特化した魔導士の体でも許容できぬ程に、ベルンハルドの体内で、魔力は活性化していた。
 そろそろか――と、いっそう強く言葉を紡ぐ。
風よ風よ(ウェイド・ウェイド)――ベルンハルドの名の下に(サットー・イル・ノーマディ・ベルンハルド)!!」
 見開いた双眸は、暗緑色ではなく鮮やかな緑。
 視線だけでナナカを見れば、彼女はこくりと頷いて。
「其ハ我ガ言ノ葉ニ従イヤ」
 日の光を照り返す双眸は、濃い赤。
「汝ガ蛇眼ハ力ヲ失イ 我等ガ心ノ臓ハ鼓動ヲ続ケヨ」
 それがまっすぐにゴルゴン達を見据え――言葉を向ける。
 言葉が、走った。
 その場にいた全員がそれを感じた。
 紡ぎ上げられた魔力に乗った『常世』の言葉。
 それは間違いなくゴルゴン達にぶつかり――虚空に溶けた。
 ナナカはベルンハルドを見る。
 彼の目は、今なお鮮やかな緑を呈している。
「大丈夫、術は掛かってるよナナちゃん。魔力滅茶苦茶持ってかれてるし」
 にへら、と笑うその顔には汗が浮かんでいる。
 けれどもそんな顔を崩さずに、ベルンハルドはそれをエルダに向ける。
「エルダさん!」
「心得た!」
 エルダは両刃剣を抜く。
 陽光を照り返す白銀は、高い青によく栄えた。
 ナナカの術を、ベルンハルドの魔力で増幅させてゴルゴン達に掛ける。
 エルダが説明されたのは、そういうことだった。
 詳しい原理は、魔術に明るくないエルダには分からなかった。
 かいつまんで説明されたところに因れば、
『俺の魔力が尽きるまでは石化は使えないと思って大丈夫』
 と、いうことらしい。
 まったく、とエルダは顔を少しだけ綻ばせる。
 普段の振る舞いは軽薄だが、それでも彼は、有事には何より先に自身を犠牲にする。
(ウチの馬鹿娘にも見習わせたいものだね)
 綻んだ顔を引き締め、振り上げた白銀をゴルゴン達に向ける。
「灰色の森の騎士団よ! 我等が地に災いをもたらす者を退けろ!
 我等が麦を奪う者を滅せ! 我等が家を焼く者を塵へと帰せ!
 我等は灰色の森の騎士団、我等が国を守る為に戦場を駆けよ!」
「御意!!」
 蒼穹に響き渡る同意の声。
 それと同時に、彼等は鎧を鳴らして駆け出した。
 ――彼等の土地に仇成す者を、彼等自身で払いのけるために。  



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